オフピステ

2010年5月26日 (水)

金山沢オフピステ

 栂池ヒュッテには、こんな山の上にと思うようなきれいなお風呂があります。食事は一応フルコース。45年ぐらい前、この近くに建っていた大学山小屋での1年生5月合宿では、10日間風呂なし、電気なしのランプ生活、メリケン粉の味がするカレーライス。それはそれは寂しい合宿でした。同じ場所なのですが天と地の差があります。加えて、山小屋合宿の間、女の子を一人も見ません。当時18歳の紅顔の少年としましては、帰りの中央線の車内販売の女の子のミニスカートがとってもまぶしかった記憶があります。栂池ヒュッテ、空いていれば一人でも1室を占拠できますが、今回は連休初日、さすがに蚕棚でした。でも、シングルサイズですが、清潔なシーツのかかったお布団が用意されています。いわゆる山小屋の頭足頭足頭足とメザシのように寝る蚕棚とは雲泥の差があります。隣は、同じ年ぐらいのソロのおじさま。上は若い女の子でした。皆様とっても早くお休みになるので、ビールを飲んだあとのトイレは気を使います。
 朝。4:00起床、そっと荷物を持ち出して用意をしました。5:00出発。自然園を抜けて、船越の頭を目指します。途中日の出。以前6月に同じルートを通った時は、水芭蕉が咲いていました。所々沢に水があふれ、飛び越えたり、迂回したりけっこう時間をとられましたが、今回は5月、一直線で自然園を抜けます。軽い登りにさしかかった所で、スキーをはずし、例によって細引きで引っぱりました。腰掛けやすそうな、ダテカンバの枝で休憩。朝食にします。宿で握り飯を用意してくれました。後ろを見ていると同じルートを登山者が登ってきます。スキーは持っていないようです。背丈からして昨夜同宿の女の子のようです。ソロかと感心しているのもつかの間、町を歩いているような軽快なスピードで横を通りすぎました。032 最後の急斜面の手前、ダテカンバで休憩です。せっかく持って来たので、湯を沸かしコーヒーを入れようとしました。少し苦労をして、やっと湧いたのでチタンコップの上にドリップを置き、やけどをしないよう手袋をつけ、湯を注ごうとしました。アレ、今置いたはずのコップがありません。昨日からの風が持って行ってしまったようです。20メートルほどしたの斜面を転がっていきました。ちょっと環境破壊、ごめんなさい。
 稜線まであと30メートル、どんどん風が強くなってきます。ピッケルを刺し、しゃがんで待機姿勢をとる時間が長くなってきました。そんな時、ソロの女の子が降りてきました。小蓮華まで行くと言っていましたが、稜線は風が強すぎてあきらめたそうです。表面からは判らないのですが、ちょうど足下、ピッケルが抵抗なく入る部分がありました。雪の割れ目、大げさに言えば、クレバスです。ここを踏み固めれば、スキーを履く場所はできそう。ちょうど、昨日同宿のおじさまも稜線から降りてきました。
 割れ目にそって踏み固めていくと、ちょうどスキーを履くのに都合の良い場所が確保できました。クランポンを外し、何とかスキーを履く事ができました。子供の時に、スキーを教えてくれた叔父貴から、やかましく言われた、スキーを履く時のお作法が大切な事、このような場所ではよく判ります。スキーを履く場所は、必ず水平に整地しなさい。谷側のスキーを先に履きましょう。ビンディングを固定するまで、流れ止めはしっかり握っていましょう。
 スキーを履くといつもの事ですが、急斜面の恐怖感がいっぺんになくなりました。やはり私はスキーヤーであって、登山家ではなさそうです。船越の頭から続く大斜面を一気に滑り降りました。気持ちいい、でもなんでこんなにすぐ終わってしまうのだろう。いつも感じる事です。金山沢へは、自然に降りていけば入る事ができます。その下部は、右側からのデブリで埋め尽くされていました。下の方は岩、土砂まじりです。斜面左側雪の割れ目ぎりぎりに滑って大雪渓に合流しました。
 


2010年5月24日 (月)

栂池 ULシェルター

 アオヤギ君が安曇野に住んでいます。彼の先祖伝来の家は築後200年以上で、五月人形の代わりに本物の鎧と槍が床の間に飾られているような家です。彼は、小学校以来の親友で、サラリーマン社長を退職の後、安曇野半分、大阪半分の生活をしています。栂池へ向かう途中、彼の家へ寄りました。庭は花いっぱい、孫たちのためのキッズハウスが庭に建っていました。次は茶室を自作するそうです。いつもの豊科駅前大石天狗屋で、馬刺とビール、焼酎の後、熟睡。
 翌朝ゴンドラ始発に間に合うよう、栂池へ向かいました。今回も単独行です。別にソロが好きな訳ではありませんが、誰も一緒に行ってくれないだけです。昨夜のアオヤギ君も、大学時代はスキー部に所属していたはずですが、そんなすごいとこよく行くねと取り合ってくれません。どうも私の事をとんでもない冒険じじいと思っているようです。
 さて、栂池ゴンドラからロープウェーに乗り換え、栂池自然園に到着。天狗原から白馬乗鞍に向かいます。今回もシールは車に置いてきました。クランポンをつけ、スキーを引っ張って登っていきます。天候は申し分ない晴れなのですが乗鞍頂上付近は、強風が吹き荒れていました。頂上近くの岩影に座っていたボーダーさんが私が登ってくるのを見て、ここ風がないよと場所を明けてくれました。ペットボトルに入れて持って来たシャンパンを開けます。ペットボトルには、他のものを入れないでくださいと書いてあります。シャンパンのような発泡性のものを入れて、気圧の低い所に行くと爆発の恐れを心配しているのでしょう。最近の企業は説明責任を取らされますから大変です。しかし、今まで白馬乗鞍の高度では爆発した事はありません。念のため、リュックの外ポケットに入れていますが、これも自己責任の範疇と理解しています。せっかくストーブを持って来たのだから、コーヒーでも入れようかと思いましたが、あまりに風が強く、こんなところで一人でコーヒーを飲んでも、全く楽しくないと気がつきました。降りる事にします。下りはあっと言うまで、今日の宿、栂池ヒュッテに着きました。まだ夕飯には時間があるので、自然園の散歩に出かけました。昔昔、距離競技をやっていた時に覚えたパスカングで快調に飛ばして行きます。今のオリンピック距離競技ではクラッシック走法と説明されている走り方です。ロープウェー駅のボランティアガイドさんの説明によれば、今年は熊が出ているそうです。気をつけてくださいと言われました。どう気をつけたら良いのか判らないので、時々、熊さんはいるかいと声に出しました。本当にハーイと出て来たら困るのので、いるよと言わないでよ、と付け加えました。夕方、非常用のウルトラライトシェルターの設営訓練をします。760gドーム型。ULシェルター011
 持っているものをなくさないように慎重に組み立てていきます。夏でもテントで生活すると、よくものがなくなります。雪の上に何か落として、踏みつけますと瞬間にそのものはなくなります。昨年11月立山でシールの金具をなくしてしまい大変苦労した事を思い出しました。さて、快適に眠れそうな場所はできましたが、撤収。栂池ヒュッテのお風呂に向かいました。


2010年4月12日 (月)

オフピステファッション

 八方山荘で早めの昼食を取り、クランポンを付けて登り始めました。スキーは細引きに付けて引っ張っています。雪のしまった春山ではこの登り方がけっこう楽でお気に入り、シールは車に置いてきました。装備は新しく購入した超軽量のシェルターも含めて6kg程度。根っからの山屋さんではない私にはちょうどの重量。これ以上重くなるとスキーがスキーでなくなってしまいます。ガラガラ沢への進入部で滑る準備をしている時、ちょうど唐松岳の真上にジェット機の飛行機雲が見えました。関西発、千歳行きのフライトはちょうど八方尾根の頭上を飛びます。Img_0798_330年以上前、北の峰スキー場と富良野スキー場が呼ばれていた時代、ジャンボからとってもきれいに八方尾根が見えた事を思い出しました。八方に続いて、斑尾、野沢のシュナイダーコースが見えました。私が、八方だ、白馬岳だ、と騒ぐものですから、美人のスチュワーデスさん達までが、ドコドコとワイワイ集まったので鮮明に覚えています。
 一足先に、ボーダーさんたちのグループが準備をしています。若い人たちで、少しお兄さんのプロのガイドさんがついているようです。女の子を含めて4-5人。その着ているウェアーの可愛らしいこと、とっても様になっていました。白に赤のストライプのパーカー、オフピステのスキーヤーや山屋さんにはこのファッションはまねできません。オフピステに入ってくる若い人々は、ボーダーさんが圧倒的に多い事が理由なのでしょう。ファッションは必ず若い人がリードする。アウトドアショップはもう一度考えを改めるべきです。最近は、団塊が年を取ったものですから、購買力は若者より当然おじいさん、おばあさんの方にあります。若い時には、必至になって金をためて買った、登山靴やピッケルなどの高級品もジジババは簡単に買ってしまいます。だから、アウトドアショップの売れ筋はジジババ好みになり、若い人は見向きもしません。オリンピック選手の服装がおかしいなどとスキー連盟のお偉方が文句をいうなどとんでもない話です。シャツの裾を出し、ネクタイを緩めたファッションぐらい、時には私でもやってしまいます。東京オリンピックの入場行進、アメリカやフランスのチームの華やいだ入場に比べ日本選手団の軍隊のような行進にがっかりした事を思い出しました。スキーファッションは、必ず前年の冬期オリンピックのファッションが基になってはやります。上手にやれば、日本のボーダーファッションが世界をリードしたのに、馬鹿な役員さんたち。ガラガラ沢の下部は左右からの雪崩が押し寄せていました。できるだけ安全そうな所を、選びながら、そっと通りすぎました。Img_0807

2009年5月 1日 (金)

白馬乗鞍岳7歳少年のオフピステ

 4月、栂池へ向かいます。7歳の孫ケイキと息子のトミーはスーパーあずさに乗って東京からやってきました。豊科の駅前のホテルで合流。このホテルの踏切を挟んだ前には天狗屋大石という居酒屋があります。馬刺とラーメンがうまい。午前2時まで、若者たちでたいへん盛況です。豊科は午後8時に仕事が終わってから大阪を出発して12時過ぎに到着してもチェックインが出来る事からすっかり常連になりました。東京から列車でも20:00新宿発のあずさに乗って到着可能。天狗屋大石で一杯飲んで熟睡です。
 さて翌日、宿は栂池ヒュッテにとってあります。7歳のケイキがどこまで登れるのか判りませんが、無理をしないところまで行って引き返そうと思っていました。まず一日目、足慣らしです。春の雪はけっこう固いので、アイゼンで上る事にしました。子供用スキー靴のケイキには、大人用の4本爪の簡易アイゼンを試しました。驚いたことにぴったりと決まりました。私のザックの両側には子供スキーを結びつけ、自分のスキーはひもをつけて引っ張っていく事にします。実はこの引っ張るやり方は初めて試したのですが、これがなかなか軽快な事はあとで知る事になりました。これがこんなに軽快ならば、シールは新雪でしかいらないようです。
 成城小屋から尾根筋を上りきり視界が開けるあたりで、最初に36歳のトミーがあごを出しました。年齢的には一番元気なはずですが、ゼーゼーと肩を動かしていました。一番こき使われる年齢です。彼の業界はソフトウェアー。おそらくタバコにどっぷり浸かり徹夜を繰り返していたのでしょう。今日はここまでと、お茶を沸かしてから引き返しました。
 さて、次の日朝5時に起床。6時に栂池ヒュッテを出発しました。弁当に握り飯を作ってもらっています。宿泊のための荷物を成城小屋の前にボッカして登りはじめます。一泊だけですから、私のお泊まり用お荷物は歯ブラシ一本だけですが、トミー君はそうは行かず、お泊まり用のスウェットを持っていました。昔、テントでパジャマとどでかいトランジスターラジオを出した友人の事を思い出しました。昨日より調子良く登っていきます。ケイキも次第にコツをつかんでいきました。ケイキ用に小股でステップを刻んでやると、ぴったりと私についてきました。
天狗原で、休憩。おにぎりとします。食後、社にお参り。さて、ケイキはどうするだろうと思いながら、「ケイキどうする、上まで行くかい」、乗鞍岳の頂上をじーっと見ていたケイキ、「行く!」。少し急斜面、今度はケイキの後ろにつきます。一つ一つ目標を決め、今度はあそこの木の所まで、すこしづつ登っていきました。そして頂上、出発から6時間たっていました。こんな小さな子が登ってきたのかい、周りから賞賛しきり、ケイキはすっかりご機嫌です。 Photo_2
 さて、下り。頂上直下の急斜面をケイキは目一杯開いたボーゲンで降りていきます。春のガサ雪、こんな所でボーゲンで滑るなんて、良くできるなと感心しました。今回の出来事、彼はまたまた自信をつけ幼児から少年になって行きます。

2009年3月25日 (水)

八方ガラガラ沢

 オフピステの世界に入るのに、アクセスが最も良いのがここ、ガラガラ沢。P1020110それでいて滑降するコースはそこそこの急斜面のバージンスノー。未だに、登る事にはあまり喜びを見いだせないでいる元スキーヤーにとってはとても良いところです。このシーズンは12月に1回、そして昨日と2回トライしましたが、いずれも強風で撤収。12月は、50年ほど前に私を初めて八方に連れて来てくれた叔父貴のお弔いでした。中学生の時に国体選手であったような往年の名スキーヤーです。臨終に近い意識朦朧のベットでも、スキーの話をするとストックワークをしていました。今のストックワークと少し異なり、肘をほぼ直角にまげ、体に近いところでストックをつきます。両方のスキーが離れる事は絶対になく、雪面をなめるようなきれいなスキーをする人でした。約50年前、10歳を少し越えた私をその叔父貴は八方第2ケルンまでつれて行ったのです。病床で、私に「よしひで、もう一度雪山へ連れて行ってくれや」と頼まれました。そして、今シーズン12月。強風の中、アイゼンを付け何とか第2ケルンまで登り、叔父貴の供養を済ませました。
 今回3月の第1日目、またまた強風です。本格的な冬山装備のパーティーも引き返してきました。仕方がないので、山荘からほんのちょっとの登ったところで、ツェルトを張る訓練をしました。風のくぼみの雪を踏み固め、スキーを支柱にツェルトを固定しようとしました。やはり、無理です。最後にはアイゼンで超薄いツェルトを踏んでしまい、裂け目を作ってしまいました。このタイプのツェルトは、やはり、雪洞を掘ってかぶるだけが精一杯のようです。 そして次の日、やっと天候に恵まれました。 クラストスノーから新雪へ、今年もやっと滑る事が出来ました。
 


2008年12月 9日 (火)

天満天神繁盛亭見聞録

地元豊中の医師会雑誌に記事を頼まれました。ちょっと面白いので転載します。このような場合著作権は私にあるのか、医師会にあるのかよくわかりません。
 まーいいだろう と言う事で、

 雪のない秋の一日です。

雪だ、山だ、海だ とアウトドアを走り回っている男の所へ寄席に行けという話が来ました。何でも、近頃大阪の名物で天満天神繁盛亭だそうです。話を持ってきたのは従業員の光木君、私に案内文が届くと、ダイレクトメールとともにまっすぐシュレダーに行く事を知っているのでコピーを取って置いていたようです。小学校の時から、座って人の話を聞くなど大嫌い。無理矢理座らされると必ず高いびき。ロンドンでミュージカル42nd Streetを見に連れて行かれた時も、ニューヨークのキャッツも、小学校の時の宝塚大歌劇もみな同じでした。寄席に出る人々もほとんど馴染みがなく、テレビのバラエティー番組に派手な衣装を着た顔が映ると必ずチャンネルを切られる人々程度の認識しかありません。まーいいか、秋は雪も無いし、渓流釣りは禁漁期だし、と言う事になり、家内の幸子、光木君、それに超音波の研修に来ている鈴木君の4人で行く事になりました。お値段、お一人様1000円、締めて4000円は、美女3人連れ立ってのおまけがついてとってもお安い値段だそうです。さて当日、天満宮の境内を通って北門を出た所が繁昌亭、席は指定ではないとの事、立ち見じゃとても居眠りも出来ないので少し早めに着きました。並ぶのかなと思いきや、チケットには番号が書かれてあり、番号順に入場、安心して隣の喫茶店へ。ちょうど昼飯時、お雑煮セットなるものなかなか風流でおいしくいただきました。さて開場、開業のお医者さまらしき方々がたくさん見受けられました。良い生地のチェックのブレザーにノーネクタイ。これが大学の先生方の集まりになるとと決まって紺のスーツになります。軽快な出ばやしに乗って寄席が始まりました。高台は以外と近くにあります。阪大卒業の噺家がいたり、やたら算数の得意な噺家がいたり、出ばなから笑い転げました。とても居眠りどころではありません。座は次第にベテランが登場してきます。古典と呼ばれる分野なのでしょう。噺家がよく「芸の道は」と口にします。バラエティー番組の噺家は、だじゃればかりで笑いをとり、どこが芸だろうと思っていましたが、目の前で演じられている古典は確かに芸術でした。紙切りに始まり、年増女の仕草、伏見の中生島あたりを行く船頭の歌声など、気がつくとすっかり笑いを忘れて聞き入っている自分に驚きました。歌舞伎や文楽と寸分違わぬ芸の世界がそこにあります。最後にクスと笑わせたところ、さすが噺家です。  

2008年10月23日 (木)

黄色スズメバチの大冒険

 秋も深まってきましたが、まだ滑れるほど雪は積もっていません。わが家でホソボソとオフピステな生活です。そんなある日、生け垣に黄色スズメバチの巣がある事に気がつきました。知らずに刈り込みなどすると逆襲されかねません。寒くなるまでそーと様子を見る事にしました。Img_5013_2
ハチの巣から2mほど離れて観察している時の事です。頭のすぐ横でブーンと羽音とともに、何やら視線を感じました。はっと見ると、一匹の黄色スズメバチの大きな目が私の目の前50cmに空中停止していました。戦闘ヘリコプターがこちらに銃口を向けて空中停止をしているような状態で、動くに動けません。しばらくして戦闘へりは向きを変え飛び去りました。どうもこのとき、複眼のデジタルメモリーに私の姿はきっちりと記憶されたようです。それから数日後、ハチの巣から10m以上離れた水道の蛇口をひねっている時のことです。またブーンと羽音、同じ複眼が50cmのところに空中停止していました。複眼の中に焼き付けられたメモリ画像と照合をされたに相違ありません。複眼は2-3秒は停止していたと思います。こうして私は、要注意危険人物として黄色スズメバチ社会で手配されたようです。
 安曇野の旧家に住む青柳君から便りがありました。彼の家にも大きなスズメバチの巣があるそうですが、信州ではハチの子は珍味として重宝され、近所の人がハチの巣を取らしてくれと頼みにくるそうです。そうか、珍味か、でも親バチを追い払うのにはどうするのかな、殺虫剤を使えば、ハチの子は食えないし、青柳君に巣の取り方とハチの子の料理法を聞こうかな、ハチの子はうまいのかな、など考えながら秋の日々を過ごしていました。秋のスズメバチは獰猛で危険との新聞の見出しも目にします。
 わが家にシェパードの女の子、花子がやってきて2-3日たった朝の事です。花子と庭で遊んでいました。突然、耳の側でブーンブーンと攻撃音です。手配されている身ですから、思わず飛び退きました。花子に危険が及ぶのも気になります。でもハチの巣からはかなり離れた場所なのにどうして、と振り返るとハチは地上から1mぐらいの高さで空中旋回、次第に旋回の輪を縮めて地上におりて行きました。 そこには、大きな緑色の芋虫が転がっていました。どうやら、黄色スズメバチの狩りの邪魔をしてしまったようです。スズメバチは芋虫の腹から肉片を切り取り丸い固まりにしていました。次第に近づいてくる人影は無視し作業に専念しています。やがて切り取った肉片をかかえて飛び上がりました。かなり重かったのでしょう、ゆっくりと旋回しながら高度をあげて行きます。5mぐらいまで高度を稼ぎ、ハチが巣に向かって水平飛行に移った瞬間、突然ハチの飛行が中断しました。かなり高いところに張られた女郎グモの巣にとらえられたのです。あまりの大きな獲物に女郎グモは呆然と眺めているだけで手が出せません。スズメバチがバタバタと暴れていました。でもしばらくはクルクルと回るだけです。10数秒後やっとの事でスズメバチはクモの巣から離れる事が出来ました。でも離れた瞬間、苦労して丸めた芋虫肉団子を落としてしまいました。さすがのハチの王者も肝を冷やしたのでしょう、一目散に飛び去りました。 
 
 
 

2008年8月 8日 (金)

真夏のオフピステ

 さすがに真夏、どこにも雪は残っていません。でも、わが家ではオフピステな生活は続いています。小学校の高学年、クワガタや、カブト虫を求めて、近所の里山を歩きました。時には、朝暗いうちから5kmの道のりを自転車で走り、箕面の勝尾寺あたりまで遠征した事があります。その時の虫取り名人、オオクワガタまで持っていた上野君は、水産大学を卒業し、カリブ海でエビ漁をやっていると聞きました。近所の里山も住宅街になり、私の家もかっての里山にあります。家を建てるとき、そこそこの大きさのクヌギの樹がありました。小さなクワガタがいました。建築屋さんと交渉しなんとか、そのクヌギを切らずに家を建てる事ができました。もしかしたら、わが家にクワガタがと期待したのですが、さすがにクワガタやカブト虫がワンサカと集まる事はなかったのです。それから、20数年の月日が経ちクヌギはクヌギ親父と呼んでよいほどの樹になりました。実は、毎年植木屋が来て殺虫剤をまいていくのです。これでは、虫たちが集まる訳はないので、公職を退きオフピステな生活を始めるのを機会に庭木の面倒は自分で見る事にしました。毛虫が大量発生するので殺虫剤なしというわけには行きませんが、空中散布は止め、使用量は最低限にし、クヌギの樹の周辺を鳥獣虫保護区に指定したのです。そして1年、驚くことにヒラタクワガタが姿を表しました。そして、毎晩たくさんのカブト虫、息子と孫がカブト虫を養殖かごに移していましたが、20ペアを越えたそうです。そのカブト虫の2世たちも、クヌギの周りに放虫されました。ヒラタクワガタは越冬します。Img_4993
今年の夏の初め、角が欠け、腕に傷のあるいかにも古武士のヒラタがクヌギの祠から出てきました。去年の夏、孫の虫かごで1週ほど過ごした個体です。

立山の雷鳥は人ごみがお好き

 梅雨入り中休み、今シーズン最後のオフピステ、立山です。少しでも高いところから滑降と浄土山を登りました。ところどころ落石が転がっていましたが、今日は天候も良いし、風もないから大丈夫でしょう。ハイ松の茂みに沿って直登。今日は、いつもの簡易型ではなく、本気の10本爪アイゼンを付けています。やはり、安心感はずいぶんと違います。軽量化のために短いピッケルですが、斜面が急なせいか、苦になりません。雪面の一番高いところは、40度近い斜面。スキーを履く場所を作って、アイゼンを外したとき、背中がゾクとしました。ちょうどその場所に日本カモシカの糞とおぼしき、緑色のタマタマがあります。ヒトもカモシカも同じようなところで一息つくのか、と妙な感心。なんとかスキーをつけ、あっけないほどに簡単に降りてしまいました。Chiba78
 さて室堂のバスターミナル近く、「雷鳥の繁殖地、騒がないでください」の意味の標識。 そこへ「ゲッツ ゲッツ」と雷鳥の鳴き声、ターミナルと反対側のハイ松の茂みをそっと覗き込みました。そこにはいません。Raichou彼らが歩いていたのは、バスターミナルのすぐそば、人々がたむろするところでした。「立山の雷鳥はヒトを見たぐらいでは驚かネーヨ。」だんだん慣れたのか、それとももともとヒトが好きなのかもしれません。いつもの私のオフピステと比べてヒトが多すぎますが、今度は雄山の頂上付近から滑ろうと決めました。
 

2008年7月29日 (火)

雷鳥のカモフラージュ

 午前8:00、白馬大池で朝食です。5月の連休の最中とは言え、ここまで来ると、人の気配が消えます。360度見回してテントが二張りのみ。重量制限を犯して持って来たMOETのベビーボトルを一人開けました。朝食にシャンパン、なぜかとっても優雅な気分になります。Photo_3朝4:00に起きて、4:30栂池ヒュッテを出発。白馬乗鞍を越えてここまで着ました。もともとスキー屋さんの私、登りは苦手です。栂池から天狗原への登り、同宿の爺さん達パティーにあっと言う間に置いていかれました。さて朝食後、小蓮華への稜線、雷鳥が何かをついばみながらこちらへ向かってきます。思わず伏せ、そっとカメラを取り出しました。 どうやら、雪面にいる小さい虫を食べているようです。夢中になって、私に気がつきません。2メートルまで近づきました。Photo_2
雷鳥の春のカモフラージュは、雪と岩の色だと聞いたことがあります。写真を撮っていて気がついたことですが、岩は岩でも近くの岩ではなく、遠景の岩のカモフラージュなのです。ファインダー画面の中では遠くの白馬岳の斜面と雷鳥が一体になってしまいました。

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