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2008年2月

2008年2月21日 (木)

孫にスキーの教え方教えます

 まず、年齢。 これは息子で試しましたが、2歳の子供を背負子に乗せてスキーをしても本人は寒い冷たい揺れる迷惑千万で少しも楽しくありません。単なる親のエゴです。200802_874歳は「上手上手」と親におだてられるのがうれしいから滑っているのかもしれません。本人がスピードを面白く感じるのは5歳です。スピードにのるとちょっとしたきっかけでスキーは曲がりますから、あとは体で覚えていきます。一番最初、ボーゲーンのためにスキーの先を閉じる道具があります。ブレーキと回転のきっかけをつかますにはいい道具。緩やかな斜面でまずまっすぐ滑ります。「左手を挙げて、はい下ろして。」少し右へ回転します。後ろ向きにボーゲンができる人は向かいあって滑りましょう。「はい今度はこっちの手を上げて、下ろして。」これを繰り返します。リフト一本降りた頃にはすっかり出来上がり。先を閉じる道具はこれ一回で不要になります。少しスピードになれましょう。夏はバス道になる林間コースのようなところがよろしい。幼児用ハーネスをつけ、後ろのベルトを持って続きます。これはコース外に落ちないようの備えです。スピードのコントロールだけでよろしい。最初の曲がり角、びっくりするぐらいコース通りに滑って行きます。本人は完全にドラゴンクエスト気分です。これも、一回滑れば、ベルトは外す事ができます。ハーネスは転んだとき起こすのに便利なのでしばらくは使えます。次に、少し急斜面へ行きます。いわゆる中級コース。ボーゲンで滑ると、どうしても、斜面の下へまっすぐ向かいます。急斜面でまっすぐ降りると、ボーゲンでも少し危険。恐怖を感じさせると一生スキーがきらいになるかもしれません。そこでここで教えるのは、曲がったあと、横へ横へ滑る事、斜面の端から端まで使います。前を滑ってあげて、「ついて来なさい」がよろしい。
 下へ向かったり、転んだら、すぐに子供の下へ割り込んで止めます。これで、どんな斜面でも滑る事ができます。大事な事もう一つ、天気の良い日に、リフトの終点など、景色の良いところに連れて行きましょう。そこで、お弁当や、お茶をすれば、もう最高。何のためにスキーを練習したのか、孫は孫なりに理解したようです。八方でどこが一番好きかい。「一番上」と答えました。

2008年2月18日 (月)

孫に教えるオフピステ

 5歳の孫にスキーを教えました。教え始めて通算3日目に、八方尾根、一番上のリフトに載せました。八方山荘でぜんざいを食べたあと、彼は第一ケルンからの急斜面を一人でボーゲンで降りました。そのまま黒菱へ向かいます。昔のいい方をすれば黒菱小屋まであと三分の一、彼はまっすぐ下に向かいます。コントロールしていないと、焦りました、追いかけます。人々がたむろしている小屋の前、彼は左へ曲がって急停止。なんだ、あのスピードからでも止まれるのか。今34歳の孫の親、つまり私の息子にも同じ年頃にスキーを教えましたが、その時より上達は早いようです。  200802_43_3私にとっての初めての黒菱、もう少し大きかったようですが、やはり子供の私を連れて来たのは、叔父貴でした。本当に真っ黒な黒菱小屋には薪ストーブがあり、みんなが銀パラと呼ばれたワックスをコテで溶かして塗っていたのを鮮明に覚えています。今日の出来事は、彼がスキーをするたびに思い出してくれるでしょう。レースをするのか、距離をするのか、オフピステを追いかけるのかは知りません.

2008年2月13日 (水)

ヨーロッパアルプスのオフピステ

 もう20年以上前のことかもしれません。ウィーンでの学会を理由にオーストリアアルプスのサンアントンを訪れました。学生時代からのホームゲレンデの野沢温泉村とは姉妹村提携を結んでいたので、名前だけは知っていたのです。野沢温泉村と少し違い、アルプスでも屈指の高級スキーリゾートである事はあとで知る事になります。当時、ベルリンの壁は未だ崩壊(1989)しておらず、ウィーンからサンアントンへ向かう列車は一旦東ドイツ領内を通ります。閉ざされた回廊と呼ばれる部分です。いきなり東ドイツの軍人が列車に乗り込んで来て、コーパートメントのドアの鍵をかけました。ちょうどこの辺りを舞台にした映画アバランチエクスプレスそのものでした。この映画は細菌兵器に汚染された列車を軍が封印し、乗客全員の抹殺を企てるストーリーです。
 さて、サンアントン、ヨーロッパ駐在の友人が入れてくれていたはずのホテル予約が入っていないとか、何とか部屋はとれたものの、ちょっと驚くお値段であるとか、ダイナーズオンリーと言われてアメックスが使えずキャッシュサービスへ走ったとか、ばたばたしましたが、なんとかスキーができる事になりました。うれしかった事は、レンタルショップで、いつも使っている同じモデルのノルディカの靴とフィシャーのスキーが借りれたことでした。
 ゴンドラを降りて、いきなり驚かされました。展望台の手すりの20mほど向こうに、岩のトーテムのようなピークがあります。5mほど下をカミソリのような細い氷の稜線がピークに続いていました。そこにザイルをかけ4人のクライマーが、ピークに登ろうとしているのです。 先頭で確保しているのはすごい美人、後ろの確保は展望台上です。さらに面白いのは、全員が背中にスキーをくくり付けていました。下を見ると10mぐらい下に扇状の雪面があります。上部の斜度45度。あそこから滑るのだ。日本だったら絶対誰かにしかられる。ゴンドラの職員とは大声で冗談を飛ばしていましたから、きっと普通の出来事だったのでしょう。
 もう少し時代は古くなりますが、日本の八方尾根、新雪の急斜面を二人のスキーヤーが滑っていました。突然、放送です。「オイ、バカヤローそこの二人、こっちへ来い」パトロールの大音響アナウンスでした。
 私自身の経験、関西のハチ北高原です。天気がよくて気持ちがいいので、コースを離れて、すすき原のようなところを女の子たちをつれてピクニックをしていました。突然、真前の斜面を雪上車がおなかを見せてあがってきたのです。海兵隊から見た敵戦車の襲撃です。スキー場のパトロールでした。コースの外にいる我々が気に入らなかったようです。雪上車が来る場所ですから決して危険な場所とは思いません。自己責任論の応酬になり物別れになりましたが、それ以来このスキー場には行っていません。どうも、日本のある立場におかれた人々は、管理する立場からしか物事を考えないのでしょう。警官、駅員、公務員、教師、医者。もちろん、事が起こった時に、管理責任ばかり追求する現実がある事も事実です。公園の中の池の全周囲に高いフェンスが張り巡らされ、景観が台無しになっているような国はおそらく日本だけだと思います。
 サンアントン、コースの端に5カ国語の看板が立っていました。Zelmat_4オフピステ、ここから先は自らの能力と責任の範囲で行動しなさい。なるほど、納得。シュプールがあったので、ついて行きました。急停止、5mはある垂直な岩の絶壁でした。この時代、フリースタイルスキーはオリンピックでは採用されていません。彼らは、岩の絶壁を利用して、フリースタイルの練習をしていたのです。着地点は45度ぐらいの軟らかい雪で、ジャンプ回転に失敗してもけがをしないところを選んでいたのです。私は止まれてよかった。自らの能力の範囲である事は証明しました。自然の中で新しい遊びをどんどん見つけて行くオフピステ、新しいスポーツは遊びの中からから生まれていたのです。
その後、ヨーロッパに来るたびに、スキー場を訪れました。お気に入りは、ツエルマット、クライネマッターホルンと呼ばれるピークからオフピステの滑降です。パトロールのおじさんが、エヘンと咳払いをして注意してくれました。あそこはビックホールがあるから気をつけるように。クレバスね、ありがとう、気を付けます。

2008年2月12日 (火)

八方オフピステ

Garagara_3

 バックサイト、バックカントリーとも言います。リフトを降りて、さらに2-3時間テクテクと登って、誰も滑っていない新雪をニタニタと笑いながら、滑って、ザマーミロというスポーツです。
 普通、スキーにシールを付けて登りますが、白馬連峰、真冬の八方山は風が強く、雪面はウィンドクラスト、カチカチで、アイゼンとピッケルが役に立ちました。弟3ケルンから、ガラガラ沢に滑り込む60歳ソロスキーヤです。

 八方第3ケルンは海抜2000m、はるか下に見えている谷川まで高度差1000mの滑降です。水平距離2000m、平均斜度30°Garagara2_2

2008年2月 7日 (木)

恐羅漢の7人

 恐羅漢の7名無事帰還。良かった良かった。きっと助かるだろうと思っていました。どうも山やさんは、自分たちだけが正当で、最近オフピステだ、バックカントリーだと言って、自然に飛び込んで来たスキーヤーやボーダーは、別種族だと思っているふしがあります。ボーダーさんの服はファッション性ばかり追求し、重くて、寒くて、あんなものを着るから遭難するのだと言わんばかりの、専門家のコメントには驚かされました。私はとっても寒いところのツアー用にはボーダーさんのパンツを使っていますが、驚くほど暖かく、軽く、ポケットがいっぱい着いて、機能的です。
 私がスキーを始めた約50年前、スキーヤーとクライマーは、ほとんど同じ格好をしていました。リフトやゴンドラが整備されていない時代、行動半径はスキーヤーもクライマーもほとんど一緒だったのです。当時の大人たちは、スキー滞在の1日を、今日は遠足だと言って子供の私を頂上まで連れて行ってくれました。スキーヤーがオフピステに入る事は、昔から当たり前だったのです。爆発的にスキーがはやった時代があります。この時代、ほとんどの良質のウェアーはスキー族用に開発され、それを山屋さんが利用したのです。今、クライマー用に開発されたコンロやシュラフや超軽量テント、さらにGPS、雪崩ビーコンなどの電子機器は私もどんどん使わせてもらいます。すべての装備を持っても6kgにしかならないのですから、感謝感謝。
 ボダーもスキーヤーも、自然を求めて、どんどん、リフトの終点から上へ、そして頂上の向こう側へ滑り降りる事は、未踏峰登頂と同様に祝福されるべきです。恐羅漢の7人は、新しい廃校一泊ツアーコースを滑った人たち、として祝福したいと思います。

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