ブログ:ココログ

2009年5月 1日 (金)

白馬乗鞍岳7歳少年のオフピステ

 4月、栂池へ向かいます。7歳の孫ケイキと息子のトミーはスーパーあずさに乗って東京からやってきました。豊科の駅前のホテルで合流。このホテルの踏切を挟んだ前には天狗屋大石という居酒屋があります。馬刺とラーメンがうまい。午前2時まで、若者たちでたいへん盛況です。豊科は午後8時に仕事が終わってから大阪を出発して12時過ぎに到着してもチェックインが出来る事からすっかり常連になりました。東京から列車でも20:00新宿発のあずさに乗って到着可能。天狗屋大石で一杯飲んで熟睡です。
 さて翌日、宿は栂池ヒュッテにとってあります。7歳のケイキがどこまで登れるのか判りませんが、無理をしないところまで行って引き返そうと思っていました。まず一日目、足慣らしです。春の雪はけっこう固いので、アイゼンで上る事にしました。子供用スキー靴のケイキには、大人用の4本爪の簡易アイゼンを試しました。驚いたことにぴったりと決まりました。私のザックの両側には子供スキーを結びつけ、自分のスキーはひもをつけて引っ張っていく事にします。実はこの引っ張るやり方は初めて試したのですが、これがなかなか軽快な事はあとで知る事になりました。これがこんなに軽快ならば、シールは新雪でしかいらないようです。
 成城小屋から尾根筋を上りきり視界が開けるあたりで、最初に36歳のトミーがあごを出しました。年齢的には一番元気なはずですが、ゼーゼーと肩を動かしていました。一番こき使われる年齢です。彼の業界はソフトウェアー。おそらくタバコにどっぷり浸かり徹夜を繰り返していたのでしょう。今日はここまでと、お茶を沸かしてから引き返しました。
 さて、次の日朝5時に起床。6時に栂池ヒュッテを出発しました。弁当に握り飯を作ってもらっています。宿泊のための荷物を成城小屋の前にボッカして登りはじめます。一泊だけですから、私のお泊まり用お荷物は歯ブラシ一本だけですが、トミー君はそうは行かず、お泊まり用のスウェットを持っていました。昔、テントでパジャマとどでかいトランジスターラジオを出した友人の事を思い出しました。昨日より調子良く登っていきます。ケイキも次第にコツをつかんでいきました。ケイキ用に小股でステップを刻んでやると、ぴったりと私についてきました。
天狗原で、休憩。おにぎりとします。食後、社にお参り。さて、ケイキはどうするだろうと思いながら、「ケイキどうする、上まで行くかい」、乗鞍岳の頂上をじーっと見ていたケイキ、「行く!」。少し急斜面、今度はケイキの後ろにつきます。一つ一つ目標を決め、今度はあそこの木の所まで、すこしづつ登っていきました。そして頂上、出発から6時間たっていました。こんな小さな子が登ってきたのかい、周りから賞賛しきり、ケイキはすっかりご機嫌です。
 さて、下り。頂上直下の急斜面をケイキは目一杯開いたボーゲンで降りていきます。Photo_2春のガサ雪、こんな所でボーゲンで滑るなんて、良くできるなと感心しました。今回の出来事、彼はまたまた自信をつけ幼児から少年になって行きます。

2009年3月25日 (水)

八方ガラガラ沢

 オフピステの世界に入るのに、アクセスが最も良いのがここ、ガラガラ沢。P1020110それでいて滑降するコースはそこそこの急斜面のバージンスノー。未だに、登る事にはあまり喜びを見いだせないでいる元スキーヤーにとってはとても良いところです。このシーズンは12月に1回、そして昨日と2回トライしましたが、いずれも強風で撤収。12月は、50年ほど前に私を初めて八方に連れて来てくれた叔父貴のお弔いでした。中学生の時に国体選手であったような往年の名スキーヤーです。臨終に近い意識朦朧のベットでも、スキーの話をするとストックワークをしていました。今のストックワークと少し異なり、肘をほぼ直角にまげ、体に近いところでストックをつきます。両方のスキーが離れる事は絶対になく、雪面をなめるようなきれいなスキーをする人でした。約50年前、10歳を少し越えた私をその叔父貴は八方第2ケルンまでつれて行ったのです。病床で、私に「よしひで、もう一度雪山へ連れて行ってくれや」と頼まれました。そして、今シーズン12月。強風の中、アイゼンを付け何とか第2ケルンまで登り、叔父貴の供養を済ませました。
 今回3月の第1日目、またまた強風です。本格的な冬山装備のパーティーも引き返してきました。仕方がないので、山荘からほんのちょっとの登ったところで、ツェルトを張る訓練をしました。風のくぼみの雪を踏み固め、スキーを支柱にツェルトを固定しようとしました。やはり、無理です。最後にはアイゼンで超薄いツェルトを踏んでしまい、裂け目を作ってしまいました。このタイプのツェルトは、やはり、雪洞を掘ってかぶるだけが精一杯のようです。 そして次の日、やっと天候に恵まれました。 クラストスノーから新雪へ、今年もやっと滑る事が出来ました。
 


2008年12月 9日 (火)

天満天神繁盛亭見聞録

地元豊中の医師会雑誌に記事を頼まれました。ちょっと面白いので転載します。このような場合著作権は私にあるのか、医師会にあるのかよくわかりません。
 まーいいだろう と言う事で、

 雪のない秋の一日です。

雪だ、山だ、海だ とアウトドアを走り回っている男の所へ寄席に行けという話が来ました。何でも、近頃大阪の名物で天満天神繁盛亭だそうです。話を持ってきたのは従業員の光木君、私に案内文が届くと、ダイレクトメールとともにまっすぐシュレダーに行く事を知っているのでコピーを取って置いていたようです。小学校の時から、座って人の話を聞くなど大嫌い。無理矢理座らされると必ず高いびき。ロンドンでミュージカル42nd Streetを見に連れて行かれた時も、ニューヨークのキャッツも、小学校の時の宝塚大歌劇もみな同じでした。寄席に出る人々もほとんど馴染みがなく、テレビのバラエティー番組に派手な衣装を着た顔が映ると必ずチャンネルを切られる人々程度の認識しかありません。まーいいか、秋は雪も無いし、渓流釣りは禁漁期だし、と言う事になり、家内の幸子、光木君、それに超音波の研修に来ている鈴木君の4人で行く事になりました。お値段、お一人様1000円、締めて4000円は、美女3人連れ立ってのおまけがついてとってもお安い値段だそうです。さて当日、天満宮の境内を通って北門を出た所が繁昌亭、席は指定ではないとの事、立ち見じゃとても居眠りも出来ないので少し早めに着きました。並ぶのかなと思いきや、チケットには番号が書かれてあり、番号順に入場、安心して隣の喫茶店へ。ちょうど昼飯時、お雑煮セットなるものなかなか風流でおいしくいただきました。さて開場、開業のお医者さまらしき方々がたくさん見受けられました。良い生地のチェックのブレザーにノーネクタイ。これが大学の先生方の集まりになるとと決まって紺のスーツになります。軽快な出ばやしに乗って寄席が始まりました。高台は以外と近くにあります。阪大卒業の噺家がいたり、やたら算数の得意な噺家がいたり、出ばなから笑い転げました。とても居眠りどころではありません。座は次第にベテランが登場してきます。古典と呼ばれる分野なのでしょう。噺家がよく「芸の道は」と口にします。バラエティー番組の噺家は、だじゃればかりで笑いをとり、どこが芸だろうと思っていましたが、目の前で演じられている古典は確かに芸術でした。紙切りに始まり、年増女の仕草、伏見の中生島あたりを行く船頭の歌声など、気がつくとすっかり笑いを忘れて聞き入っている自分に驚きました。歌舞伎や文楽と寸分違わぬ芸の世界がそこにあります。最後にクスと笑わせたところ、さすが噺家です。  

2008年10月23日 (木)

黄色スズメバチの大冒険

 秋も深まってきましたが、まだ滑れるほど雪は積もっていません。わが家でホソボソとオフピステな生活です。そんなある日、生け垣に黄色スズメバチの巣がある事に気がつきました。知らずに刈り込みなどすると逆襲されかねません。寒くなるまでそーと様子を見る事にしました。Img_5013_2
ハチの巣から2mほど離れて観察している時の事です。頭のすぐ横でブーンと羽音とともに、何やら視線を感じました。はっと見ると、一匹の黄色スズメバチの大きな目が私の目の前50cmに空中停止していました。戦闘ヘリコプターがこちらに銃口を向けて空中停止をしているような状態で、動くに動けません。しばらくして戦闘へりは向きを変え飛び去りました。どうもこのとき、複眼のデジタルメモリーに私の姿はきっちりと記憶されたようです。それから数日後、ハチの巣から10m以上離れた水道の蛇口をひねっている時のことです。またブーンと羽音、同じ複眼が50cmのところに空中停止していました。複眼の中に焼き付けられたメモリ画像と照合をされたに相違ありません。複眼は2-3秒は停止していたと思います。こうして私は、要注意危険人物として黄色スズメバチ社会で手配されたようです。
 安曇野の旧家に住む青柳君から便りがありました。彼の家にも大きなスズメバチの巣があるそうですが、信州ではハチの子は珍味として重宝され、近所の人がハチの巣を取らしてくれと頼みにくるそうです。そうか、珍味か、でも親バチを追い払うのにはどうするのかな、殺虫剤を使えば、ハチの子は食えないし、青柳君に巣の取り方とハチの子の料理法を聞こうかな、ハチの子はうまいのかな、など考えながら秋の日々を過ごしていました。秋のスズメバチは獰猛で危険との新聞の見出しも目にします。
 わが家にシェパードの女の子、花子がやってきて2-3日たった朝の事です。花子と庭で遊んでいました。突然、耳の側でブーンブーンと攻撃音です。手配されている身ですから、思わず飛び退きました。花子に危険が及ぶのも気になります。でもハチの巣からはかなり離れた場所なのにどうして、と振り返るとハチは地上から1mぐらいの高さで空中旋回、次第に旋回の輪を縮めて地上におりて行きました。 そこには、大きな緑色の芋虫が転がっていました。どうやら、黄色スズメバチの狩りの邪魔をしてしまったようです。スズメバチは芋虫の腹から肉片を切り取り丸い固まりにしていました。次第に近づいてくる人影は無視し作業に専念しています。やがて切り取った肉片をかかえて飛び上がりました。かなり重かったのでしょう、ゆっくりと旋回しながら高度をあげて行きます。5mぐらいまで高度を稼ぎ、ハチが巣に向かって水平飛行に移った瞬間、突然ハチの飛行が中断しました。かなり高いところに張られた女郎グモの巣にとらえられたのです。あまりの大きな獲物に女郎グモは呆然と眺めているだけで手が出せません。スズメバチがバタバタと暴れていました。でもしばらくはクルクルと回るだけです。10数秒後やっとの事でスズメバチはクモの巣から離れる事が出来ました。でも離れた瞬間、苦労して丸めた芋虫肉団子を落としてしまいました。さすがのハチの王者も肝を冷やしたのでしょう、一目散に飛び去りました。 
 
 
 

2008年8月 8日 (金)

真夏のオフピステ

 さすがに真夏、どこにも雪は残っていません。でも、わが家ではオフピステな生活は続いています。小学校の高学年、クワガタや、カブト虫を求めて、近所の里山を歩きました。時には、朝暗いうちから5kmの道のりを自転車で走り、箕面の勝尾寺あたりまで遠征した事があります。その時の虫取り名人、オオクワガタまで持っていた上野君は、水産大学を卒業し、カリブ海でエビ漁をやっていると聞きました。近所の里山も住宅街になり、私の家もかっての里山にあります。家を建てるとき、そこそこの大きさのクヌギの樹がありました。小さなクワガタがいました。建築屋さんと交渉しなんとか、そのクヌギを切らずに家を建てる事ができました。もしかしたら、わが家にクワガタがと期待したのですが、さすがにクワガタやカブト虫がワンサカと集まる事はなかったのです。それから、20数年の月日が経ちクヌギはクヌギ親父と呼んでよいほどの樹になりました。実は、毎年植木屋が来て殺虫剤をまいていくのです。これでは、虫たちが集まる訳はないので、公職を退きオフピステな生活を始めるのを機会に庭木の面倒は自分で見る事にしました。毛虫が大量発生するので殺虫剤なしというわけには行きませんが、空中散布は止め、使用量は最低限にし、クヌギの樹の周辺を鳥獣虫保護区に指定したのです。そして1年、驚くことにヒラタクワガタが姿を表しました。そして、毎晩たくさんのカブト虫、息子と孫がカブト虫を養殖かごに移していましたが、20ペアを越えたそうです。そのカブト虫の2世たちも、クヌギの周りに放虫されました。ヒラタクワガタは越冬します。Img_4993
今年の夏の初め、角が欠け、腕に傷のあるいかにも古武士のヒラタがクヌギの祠から出てきました。去年の夏、孫の虫かごで1週ほど過ごした個体です。

立山の雷鳥は人ごみがお好き

 梅雨入り中休み、今シーズン最後のオフピステ、立山です。少しでも高いところから滑降と浄土山を登りました。ところどころ落石が転がっていましたが、今日は天候も良いし、風もないから大丈夫でしょう。ハイ松の茂みに沿って直登。今日は、いつもの簡易型ではなく、本気の10本爪アイゼンを付けています。やはり、安心感はずいぶんと違います。軽量化のために短いピッケルですが、斜面が急なせいか、苦になりません。雪面の一番高いところは、40度近い斜面。スキーを履く場所を作って、アイゼンを外したとき、背中がゾクとしました。ちょうどその場所に日本カモシカの糞とおぼしき、緑色のタマタマがあります。ヒトもカモシカも同じようなところで一息つくのか、と妙な感心。なんとかスキーをつけ、あっけないほどに簡単に降りてしまいました。Chiba78
 さて室堂のバスターミナル近く、「雷鳥の繁殖地、騒がないでください」の意味の標識。 そこへ「ゲッツ ゲッツ」と雷鳥の鳴き声、ターミナルと反対側のハイ松の茂みをそっと覗き込みました。そこにはいません。Raichou彼らが歩いていたのは、バスターミナルのすぐそば、人々がたむろするところでした。「立山の雷鳥はヒトを見たぐらいでは驚かネーヨ。」だんだん慣れたのか、それとももともとヒトが好きなのかもしれません。いつもの私のオフピステと比べてヒトが多すぎますが、今度は雄山の頂上付近から滑ろうと決めました。
 

2008年7月29日 (火)

雷鳥のカモフラージュ

 午前8:00、白馬大池で朝食です。5月の連休の最中とは言え、ここまで来ると、人の気配が消えます。360度見回してテントが二張りのみ。重量制限を犯して持って来たMOETのベビーボトルを一人開けました。朝食にシャンパン、なぜかとっても優雅な気分になります。Photo_3朝4:00に起きて、4:30栂池ヒュッテを出発。白馬乗鞍を越えてここまで着ました。もともとスキー屋さんの私、登りは苦手です。栂池から天狗原への登り、同宿の爺さん達パティーにあっと言う間に置いていかれました。さて朝食後、小蓮華への稜線、雷鳥が何かをついばみながらこちらへ向かってきます。思わず伏せ、そっとカメラを取り出しました。 どうやら、雪面にいる小さい虫を食べているようです。夢中になって、私に気がつきません。2メートルまで近づきました。Photo_2
雷鳥の春のカモフラージュは、雪と岩の色だと聞いたことがあります。写真を撮っていて気がついたことですが、岩は岩でも近くの岩ではなく、遠景の岩のカモフラージュなのです。ファインダー画面の中では遠くの白馬岳の斜面と雷鳥が一体になってしまいました。

2008年3月11日 (火)

カモシカと滑った蓮華温泉

 去年の5月の事です。栂池から天狗原、白馬乗鞍を越え、白馬大池から蓮華温泉を目指しました。白馬大池の山小屋の屋根の稜だけが見えていました。 Photo二人のボーダーが屋根の稜を滑る練習をしていました。ここまで来て、スケートボードで公園の階段の手すりを滑るような練習をしなくともよいのに。GPSと地図で方向を定め滑りはじめます。途中木立で少し方向を失いましたが、林を抜けると蓮華の源泉が真下に見えました。しばらくは気持ちよく滑っていましたが雨が掘った溝に外エッジをとられて転倒、かなりの急斜面を滑落です。滑落している私の横を何かが飛び出しました。大型犬ぐらい、日本カモシカです。滑落を止めるのも忘れて、大声でカモシカーと叫びました。あとで聞いた事ですが、それを見ていた仲間たちも、私が滑落している事も忘れてカモシカを呆然と眺めていたそうです。はっと気がつきました。まだ頭を下にして滑り落ちています。両足を空に放り上げ、スキーをそろえ斜面の下方に投げつけました。 止まった。周りを見渡しましたが、もちろんカモシカはいません。でも最初に見た彼女のびっくりしたような顔は鮮明な映像として残っています。突然人間が降って来たのです、さぞかし度肝を抜かれた事でしょう。その日の蓮華温泉はとってもいいお湯でした。 

2008年3月 4日 (火)

46年ぶりの志賀高原丸池

 この前にここを滑ったのは高校へ入った年、46年も前の事でした。その時は青柳君と古荘君と叔父貴が一緒でした。丸池第二リフトの場所は今もいっしょでしたが、その時はもちろん独り乗りで、背もたれもありません。 最初の鉄塔のところで雪にスキーを引っ掛けた古荘君が落ちました。当時のリフトはそんな事では止まる事なく動き続けていた事が、今から思えばすごい事かもしれません。志賀高原はその後何度も来ていますが、いつも高いところへ高いところと求めるため、法坂、丸池で滑った事はなかったのです。今回はヨットハーバーのスキーツアーです。実は、スキーヤーとヨットマンは共通するところが多いようで、ヨットを販売の営業マンは参考にするとよろしい。旅館はと聞くとサンバレーとの事、サンバレーとはどこだろうと思いましたが、志賀高原入り口の法坂ゲレンデの事でした。折しも、発達した低気圧が太平洋岸を通過し、日本全国猛吹雪に見舞われた週末となります。日曜日、高いところのリフトは全て止まったようでした。法坂ゲレンデはパウダースノーがところによっては1メートルの積雪です。思いもかけないオフピステ、ゴーグルを拭き拭き、十二分に楽しみました。雪が良いととってもうまくなった気分がしてよろしい。

2008年2月21日 (木)

孫にスキーの教え方教えます

 まず、年齢。 これは息子で試しましたが、2歳の子供を背負子に乗せてスキーをしても本人は寒い冷たい揺れる迷惑千万で少しも楽しくありません。単なる親のエゴです。200802_874歳は「上手上手」と親におだてられるのがうれしいから滑っているのかもしれません。本人がスピードを面白く感じるのは5歳です。スピードにのるとちょっとしたきっかけでスキーは曲がりますから、あとは体で覚えていきます。一番最初、ボーゲーンのためにスキーの先を閉じる道具があります。ブレーキと回転のきっかけをつかますにはいい道具。緩やかな斜面でまずまっすぐ滑ります。「左手を挙げて、はい下ろして。」少し右へ回転します。後ろ向きにボーゲンができる人は向かいあって滑りましょう。「はい今度はこっちの手を上げて、下ろして。」これを繰り返します。リフト一本降りた頃にはすっかり出来上がり。先を閉じる道具はこれ一回で不要になります。少しスピードになれましょう。夏はバス道になる林間コースのようなところがよろしい。幼児用ハーネスをつけ、後ろのベルトを持って続きます。これはコース外に落ちないようの備えです。スピードのコントロールだけでよろしい。最初の曲がり角、びっくりするぐらいコース通りに滑って行きます。本人は完全にドラゴンクエスト気分です。これも、一回滑れば、ベルトは外す事ができます。ハーネスは転んだとき起こすのに便利なのでしばらくは使えます。次に、少し急斜面へ行きます。いわゆる中級コース。ボーゲンで滑ると、どうしても、斜面の下へまっすぐ向かいます。急斜面でまっすぐ降りると、ボーゲンでも少し危険。恐怖を感じさせると一生スキーがきらいになるかもしれません。そこでここで教えるのは、曲がったあと、横へ横へ滑る事、斜面の端から端まで使います。前を滑ってあげて、「ついて来なさい」がよろしい。
 下へ向かったり、転んだら、すぐに子供の下へ割り込んで止めます。これで、どんな斜面でも滑る事ができます。大事な事もう一つ、天気の良い日に、リフトの終点など、景色の良いところに連れて行きましょう。そこで、お弁当や、お茶をすれば、もう最高。何のためにスキーを練習したのか、孫は孫なりに理解したようです。八方でどこが一番好きかい。「一番上」と答えました。

«孫に教えるオフピステ