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2008年9月

2008年9月 5日 (金)

 リキ物語 第12話 リキの朝食

 リキの朝食

 今リキも、もうじき8歳になります。人間で言えば、もうじき60歳ぐらいでしょうか、生物学的年齢は今の私とほぼ同じです。公園を少し走った時など、二人そろってぜーぜーはーはー、目を合わせてしまいました。長年つきあっていると、お互いに会話は完全に成立しています。この時の目は、「アーしんど、もうやめよか」と言いました。リキが私と散歩に行きたい時は、まず2階のタンスの前で、人の顔を見ます。その中にジーパンが入っているのを良く知っているからです。私がジーパンを身につけると、作戦は半分成功ですから、階段を飛び降りて行きます。犬の臭覚も聴覚も人間よりはるかに優れていますから、リキが1階の離れたところにいて、私が2階でジーパンに履き替えた場合でも、リキは飛んでやってきます。ジーパンの染料であるインディゴの臭いに反応しているのか、ジーパンが擦れて出る音に反応しているのかは定かではありません。ちなみに、私がスーツを着、ネクタイを締めてもリキは決して飛んでは来ません。せいぜい、階段の下で、うさんくさそうに上を眺めているだけです。幸子を散歩に誘う時は、もっともっと積極的に攻勢をかけます。まず、手をあま噛みしてトイレの前に連れて行きます。メスはお出かけ前にはトイレに行かねばならない事を完全に理解している行動です。そして、軍手の入った引き出しの前で飛び跳ね、次に排泄物収容用のビニール袋の入った引き出しへ行ってワン、靴箱へ行って、人間より先に靴箱に顔を突っ込み、なぜか靴を出さずにスリッパをくわえて走り回ります。軍手の引き出しや靴箱は、場所もでしょうが臭いで記憶しているのかもしれません。犬族の会話や思考は言葉だけではなく臭覚も関与しているようで、臭覚の記憶の組み合わせでストリーが理解できるそうです。あの臭いがあって、この臭いがあって、あれとこれが混じって、ああそうか。臭いの夢を見ているかもしれません。別々に行動していた家族が会ったとき、臭いを嗅ぎ回り、そうかそうか、あそこへ行って、どこどこへ寄って、誰と会って、何をした、臭いで相手の行動のストーリーが完全に判るそうです。女房が犬族でなくってよかったよかった。

 さて、犬の食事ですが、ドッグフードが出回ったのは比較的最近の事です。わが家の犬族の食事、昔は残飯でした。父が入院施設のある医院をやっていたので、残飯はたくさんありました。ただセントバーナードのイチだけは体重が80kg近くありましたから、残飯だけでは足らず、近所のスーパーに頼んで鳥の頭をわけてもらっていました。今は工場でやっているのでしょうが、昔はスーパーの裏で鶏肉を解体していたようです。それを台所で大きな鍋でぐつぐつやります。トサカもクチバシもついているので、知らない人が見たら、ゾーとする光景だったに違いありません。大型犬の体重は大きな人間と変わりはありませんが、わずか1年でそこまで成長するわけですから、大型犬の子犬の食事はとっても重要です。鳥の頭がよかったのか、セントバーナードのイチは、立派な犬になり、時々テレビのコマーシャルに出ていました。少し年月が経ち、わが家に最初のリキが来た頃、犬の食事はすっかりドッグフードと決まったようです。シェパードの食事は、普通は一日一回で、7カップぐらいは平らげます。朝は、サービスで牛乳とドックフード少々。もし、犬が人間の言葉を話せたら、ドッグフードはたちまち売れなくなるだろうと言われます。つまり、おいしくないのです。でも、犬族はおいしくなくても、結局は食べるので、ドッグフードは栄養だけを考えて生産されているそうです。キャットフードは、そうとは行かず、おいしくないものは、ネコマタギになりますから、キャットフードの生産者は猫を100匹飼っていて、何%の猫が食べたのかというデータをもとに、新しいキャットフードの開発をするそうです。わが家にタイガーがいるころ、タイガーの食べ残しをリキがおいしそうに食べていました。

 さて、いまリキです。兄弟が何人かいる家族では、下になるほどうまいものを食って育ちます。質実剛健にという親の教育方針がだんだんとルーズになるという理由の他に、親の経済状況も次第に良くなるのかもしれません。祖父母が、まだ小学生であった私、妹そしていとこ達を連れて食事に行きました。メニューを見て、いとこの兄貴は必ず一番安い物を注文しました。ところが弟の方は必ず一番高い物を注文しました。祖父が大笑いで「それはワインや」と言っていたのを覚えています。そのレストランでメニューの中で最も高い値段がついていたのはワインだったのです。リキも、今リキが一番おいしい物を食べています。ベースはドッグフードですが、トッピングと称して、いろいろおいしいものを載せてもらっています。人間の食べ物の中には、犬には毒になるものがあるそうで、それらはきれいに取り除いてあります。

 極めつけは朝食です。もともと朝食はサービスですから、多くとる訳ではありません。まず牛乳、誰かが起きてくると同時に、ボールをカランカランと蹴飛ばします。人がコーヒーを入れるより先によこせと言います。一度、牛乳を飲んだのに、違う人が起きてくると、あたかもまだもらっていないと言う顔をしてカランカランを繰り返します。たいていは騙されます。次にトースト、リキ専用の食パンが買ってあります。幸子は「安いのよ」と言っていますが、食べてみると実にフワーとしています。実はリキはフランスパンのような固いパンが嫌いで、ファワーとしたのが好きなようです。固いフランスパンでも食べるのですが、ちらっと人の顔を見て、わざと口の横からこぼしながら、バサバサと食べます。さてフワーとしたトーストですが、トースターでこんがりいい色に仕上がります。チーンと音がするとリキはテーブルの横に正座をします。必ず出てくる事を知っていますから、じっと待っています。熱いうちにバターをたっぷり塗られて、上に脂肪抜きのカテージチーズがもられ、その横に手作りのリンゴジャムが添えてあります。実は、原文ではオレンジママレードと書かれていました。しかし、リキはオレンジママレードは好きではなく、好物はリンゴジャムだと後から知らされ、この文章は修正されました。一方、私の食事は、一応同じものを食べていますが、皿の上にボエと置いてあるだけです。さらに、リキは一口で食べられるサイズにちぎってもらい、ふーふーとさましてから口に運んでもらっています。そのあと、リキはテーブルの上にある果物と人の顔をかわるがわる見ます。鼻はテーブルの上でまっすぐ果物に向かっています。アー、みかんだ、食べたい。よだれがボト。アー、ラフランセ、大好き。たいていは仕留めます。さらに、ヨーグルトのお皿をなめて、リキの朝食はおわります。Rikiin_snow
こうして、野生たっぷりに育てと期待されていたジャーマンシェパードは、すっかりペット生活に甘んじる事になりました。

 リキ物語 第11話 リキとMG

 リキとMG

 MGとはイギリス製の車です。モーリスガレージの略称で、正確に言うと車種の名前と言うより、車のメーカーの名前です。後にブリティッシュライトウェイトスポーツと呼ばれる、軽排気量のスポーツカーです。同じ仲間にオートバイメーカーが作ったトライアンフがあります。当時、イギリスのスポーツカーではオースティンヒーレーが有名でした。ビッグヒーレーと呼ばれた大排気量のスポーツカーで、庶民には高値の花だったそうです。イギリス人の貴族のお金持ちは、田舎にもお家を持っていました。お金持ちの馬屋には、馬に代わりヒーレーのようなスポーツカーが入り、馬丁は車のメンテ係になりました。今でも助手席と言う当時の名残の言葉が残っています。高値の花であったオープンスポーツカーを、若い一般庶民でも買えるように、との営業戦略から生まれた車がMGです。第二次大戦後、初めての流線型のモデルとして作られたのがMG-Aという車種です。それまでの箱形MGは、シャーシの一部やフレームにも木が使われていましたが、MG-A以降は金属製になります。しかし、床板は合板でした。Mg_2
 さて、私が医学部の学生時代、MGにあこがれました。176号線服部のハナテンにベージュ色のMG-Bが置いてありました。アルバイトで貯めたお金をある程度は持っていたので、母親に打診。「アホー、こんな車に乗ってみー、どう見てもエエとこのアホボンにしか見えへん、こんな車は40すぎて、どこから見ても自分の甲斐性で買うたと思われるようになってから買い」と一蹴にされました。
 それから、二十数年の月日が流れました。渓流釣りにと買ったランドクルーザーも12年になり、ボディーが錆びて穴が開いてきました。そろそろ、買い替えですが、四輪駆動車もはやりすぎて、いやになりました。どうして、泥道用の超でかいタイヤと猛獣よけのバンパーを装備し、パワーステアリングがついてピカピカの四駆が町の中にいっぱいいるのだろう、と不思議でした。何にでも、様々な付加価値をぶら下げて高く売りつける風潮にも腹が立っていました。二十年で車の値段は3倍に膨らんでいます。
 「欲しい車がない」と思ったとき、思い出したのです。MG、充分に40は過ぎています。むしろ50に近づいていました。近所に、とっても偏った嗜好の自動車屋さんがあります。そこにはどんな古い自動車でも、必ず直してしまう大将がいます。その工場にはトライアンフTR4が時々止まっていました。彼に電話、驚いた事に1957年製MG-Aがあると言いました。排気量1500ml、一番初期型のMG-Aです。
 そのMG-Aはメキシコシティーから来たそうです。赤錆だらけの、スクラップで、フェンダーにはメキシコの砂漠の砂が大量に固まって付いていました。彼なら何とかするだろうと思ったのでしょう、その場で契約してしまいました。
 しかし、そのMG-Aのレストアが完成するのは18ヶ月後の事でした。ボディーの錆び落ちて無くなってしまった部分など、叩いた鉄板を溶接して作っていくのですから、18ヶ月は無理もありません。革製のシートなどは手縫いです。
 さて、わが家にはリキがいました。ランドクルーザーの後部は、トミーとリキが乗っても、充分なスペースがありましたが、MG-Aが来たときランドクルーザーは東南アジアのどこかの国へ行ってしまいました。そして、リキのMG乗務訓練が始まりました。
 今の車の窓は、運転者の肩の少し下あたりから開口しています。横方向からの衝突の安全性をとやかく言っている車はもっと高いところに開口部があり、まるで装甲車です。ところが、MGやトライアンフなど、いわゆるライトウェイトスポーツはロウカットウィンドウが一つの売りだったのです。トライアンフTR3など、ほとんどベルトの位置まで開口しています。まるで全身が風の中にいるようでとっても壮快です。そこに、リキが乗る訳です。もし途中で暴れたりしたら、車から飛び出してしまう事もあって当然です。
 いちリキにハーネスをつけ、リードを運転席と助手席の間にあるハンドブレーキのレバーに巻き付けました。リキが動こうとすると、リードを引き閉めます。このやり方で、ご近所をぐるぐる回り、お互いに自信ができてからヨットハーバーに向かいました。なんとか4時間、三重県五カ所のヨットハーバーに到着した時、リキも私もくたくたに疲れていました。昔の複葉機に犬を載せて飛んだら、きっと同じくらい疲れたと思います。
 さて、にリキ、子供の時からとってもお行儀がよかったので、最初からおとなしくMGに乗る事ができました。一応、ハーネスは付けてありますが、ほとんど引っ張る必要はありません。最初に「座っていなさい」それだけでじっと正座をしていました。だから、安心してヨットハーバーへ向かいました。ところが、高速道路のトンネル、音に驚いたようです。
 突然、立ち上がりました。そして、運転している私に抱きついてきたのです。まず、前が見えません。「俺たちに明日はない」の中で運転をしているポールニューマンに女の子が馬乗りになるシーンがあります。車は田舎の道を蛇行していました。状態としては似ていました。しかし、馬乗りになっているのは、スカートを捲し上げた女の子ではなくシェパードで、高速道路の時速100km、トンネルの中です。振り払うとリキを落とす事になります。片手にハンドル、片手に首輪をもって何とかトンネルの外に出ました。二つ目のトンネル、今度は緊張して進入します。ハーネスを締め、リードをハンドブレーキに掛け、「座ってなさい、じっとして、じっと、じっとーーーーーーー」。リキは目を三角にして緊張していましたが、腰を一瞬浮かしただけで、何とか二つ目のトンネルを出ました。確かに、オープンカーでのトンネルの中の騒音はスザマしい音量です。そういえば、いちリキは、車は違いますが何度も旅行をしています。だから、トンネルの音に驚く事はありませんでした。にリキにとってはMGに乗っての五カ所が初めての長距離旅行だったのです。当然、トンネルも初めての経験でした。そのうち、MGの助手席にすっかりなれ、まるでパイプをくわえた、紳士が助手席に座っているような態度で乗っていました。隣を走っているおじさんが、窓をあけ、「様になっているよ」と声をかけてくれました。
 さて、さんリキ、子供のときはMGに載せて近所を周りました。しかし、何となく居心地が悪そうです。気がつきました。さんリキは大き過ぎるのです。助手席に座ると、顔がスクリーンの上に出てしまいます。鼻に風があたって、気持ちが悪いのでしょう、首を引っ込めると、ブレーキのたびに鼻をスクリーンにぶつけます。仕方がないので、しばらくは、助手席のシートを外してリキを載せました。それも、しばらくの間だけで、リキはもっと大きくなりました。とうとう、どうしょうもなくなり、リキ用のワゴン車を中古で買うはめになりました。
 MGに乗って東京へも行きました。すっかりなれた頃の伊勢自動車道、ガクとMGのパワーが落ちました。実は、自動車屋の大将とは、「近畿圏であれば故障したときは迎えにくる事」と約束のもとにこの車を買ったのです。電話をします。「確かに、近畿圏ですけど、何とかもうちょっと近づけまへんか」と言う事になり、だましだまし、帰路につきます。道路サービスの黄色い自動車が近づいてきて、「煙が出てますよ」。安濃サービスエリアまであと3kmです。「なんとか行けるでしょう」。それから1分あまり後、大音響と黒煙がボンネットを吹き飛ばしました。
 思わず、「メーデーメーデー」と無線電話での遭難信号を叫び、高速道路横の斜面を駆け登りました。幸い火災にはならず、MGと私が自動車屋の大将に救助されたのは、8時間後の午前1時でした。エンジンは完全にお釈迦になり、2週間後、同形の中古エンジンがアメリカからFedexに乗ってやってきました。
 
 10年たって、もう一度化粧直しをされた、MGは今もすてきなお婆さんで健在です。もう51歳。
  
 


 リキ物語 第10話 タイガーとクルージング

 タイガーとクルージング
 
 船が風だけの力で、スーと走り出す時、本当にうれしくなります。大きすぎて、帆走性能が悪く、パーティーをする時だけ便利な今のヨットでも、エンジンをかけずに、そっと舫いを離し、ワーキングジブに裏風を入れてゆっくりと方向を変え、スーと、ポンツーンを離れて行くのは、大航海時代の船乗りになった気分になりワクワクします。
 初めて自分たちのヨットを手に入れた時、クルージングの最初から、終わりまで、ワクワクドキドキ気持ちイイの連続でした。自分たちのヨットを手に入れたと書くと、とってもカッコいいですが、実は、大学祭に模擬店を出し、あっちこっちから女の子を集めて、女の子に飢えている国立大学の学生から巻き上げた五万円で、琵琶湖の貸しヨット屋から、ぼろぼろの中古艇を買ったのが最初でした。
 ナイトクルージングだと言って大津を出発し、風が全くなくなり、雄琴あたりで眠りこけ、起きたら、芦原の中に閉じ込められていた事もありました。全長5メートルのセンターボードの付いた大きめのディンギーですから、閉じ込められたと言っても、ズブズブと芦原に降りて、押せばしまいです。
 この座礁した時の降りて押すスタイルは、もう少し時代が過ぎて、自分たちで、まともに稼いで買った23フィートのヨットの時代までつづきます。小豆島土庄、23フィートのデイクルザーが2艇、可愛い女の子がいるよ、いやあれは子供だよ、とあっちの海岸にフラフラ、こっちの海岸にフラフラ、一日に7回座礁の記録を作った事があります。最初は、「座礁、みんな降りて押せよ」で済みましたが、そのうち誰も降りなくなりました。
 ヨットは、風を斜め前から受けても前進する事ができます。三角形の帆を持ったヨットでなくとも、大帆船時代のたくさんの横帆を持った船でも、帆の角度を変える事により、風に対して切り登る事が出来ます。なぜこんな事が出来るのか、科学少年たちの間で話題になりました。古荘君が、「それは、ベルヌーイの原理である」と言いました。そして、力の方向をベクトルの矢印で記述しました。「ヨットが風に対して45°の角度で前進できるのは、飛行機が飛ぶのと同じ原理であり、帆に働く揚力が原動力である。」古荘君は航空工学について書いた本を持っていたのです。小学校6年生の他の少年達に、そんな事判るわけがありません。
 彼はこのまま大人になり、今は工学部の教授になりました。
 本当に風に対して斜めに前進できるかどうか試してみようと言う事になり、制作が始まりました。模型とか工作とかは、みんなとっても得意だったのです。すでに、熱気球や、ロケットの実験には成功していました。参考にした写真はニースあたりに浮かぶ豪華ヨットだったようで、全長60cm、真っ白の船体、船底は赤、2本マストにブルーのストライプの帆を持つとっても優雅なヨットが出来上がりました。
 さて、実験場所は稲荷神社の池です。かなり季節風の強い日でしたが、われらのヨットは、突風にも転覆せず、30°位のヒールを保ち、みごとに風に向かって45°の角度で登って行きました。 
 対岸に3人の見知らぬ少年がいます。彼らも大きな模型の船を浮かべていました。戦艦大和です。このような状況では当然の事ですが、お互いに敵対心が芽生えます。そのうち、艦砲射撃だと言って、お互いの船めがけて石の投げ合いが始まりました。
 それから数年後、豊中高校で仲良くなった吉田君の家に遊びに行きました。驚いた事に、彼の部屋の出窓に海戦相手であった戦艦大和が飾ってありました。彼とは今も、数人の仲間とともに、同じヨットを共同で持っています。
 タイガーがわが家の家族になった頃、しばらく、渓流ばかり行って遠ざかっていたヨットに再び乗り始めています。30フィート(約9m)の量産艇の中古です。Tiger真夏、サチコと息子のトミーを連れて家を出ました。タイガーも付いて来ます。三重県五カ所のヨットハーバーまで、高速道路がない当時は数時間のドライブでした。
 タイガーはヤンチャ娘盛りです。タイガーを連れて長距離の旅行をするのは初めてでした。タイガーの用便のため、名阪国道を離れ、草原の横に車を止めました。すでに夕方で周りは薄暗くなっています。タイガーの毛色は完全保護色でブッシュの中に入ると、どこにいるのか判らなくなります。タイガーの方からはこっちは見えていますから、彼女は騒ぎません。
 「タイガー帰っておいで、どこにいるの」「------」、「タイガー」「-----」
ますます周りは暗くなり、不安になって来ました。3人でブッシュの中をあっちこっち探しました。実は、タイガーはみんなが見える所でじっとしていただけです。あまりにみんなが騒ぐので、気の毒になったのでしょう、足下で「何ギャオー」、タイガーはずっと側にいたのです。
 彼女のこの性格は、大人になっても続きます。夜、リキを散歩に連れて出ると、必ず途中まで、声を出さずに付いてきます。車からは安全な溝のなかを隠れて伝ってきますから、こちらも気がつきません。家から200メートルほどのところで、「ウギャー、もう帰る」。「なんだ、タイガーいたのか」
 今回のクルージングは、ヨットハーバーが募集した、クルージング教室に同行する形です。塾の先生たちのグループが参加していました。行き先は、紀伊長島、五カ所からは南西へちょうど半日の行程です。
 適当に良い風で、ちょうどトミーに舵をとる練習させるのに好都合でした。もう一艇クルージング教室のヨットが同行しているので、「あの船について行きなさい」、だけで、ほとんど全行程をトミーが舵を取っていました。トミー、小学校4年生です。
 ロビンという16歳の少年が一人で世界一周をする航海記があります。ロビン、リー、グレアム著、ダブ号の冒険、16歳で出航、22歳でお嫁さんを連れて帰還するまでの物語です。
 その中で、ロビンは猫を連れています。その猫が、セールの一番下になる所、フットといいます、で寝ていました。セールは真っ平らではなく、球状に膨らましてあります。一番下の部分は、結構、膨らみに余裕があり、その中に入って昼寝をすると快適です。私も時々腰をかけて居眠りをします。ダブ号の猫は、突然セールの方向が変わり、海に投げ出され、サメに食べられてしまいました。映画ではロビンがサメに向かってライフルをぶっ放しているシーンがあります。タイガーも海に投げ出されたら大変と思いましたが、用心深いタイガーは、セールに登るような冒険はせず、キャビンの奥の、マストの真下、一番涼しい所で昼寝をしていました。
 紀伊長島は漁業基地です。漁師さん達のためのスナックが多いのに驚かされました。彼らはここに家があるわけではなく、船で寝泊まりしているのです。だからスナックがはやります。たくさんの漁船をさけ、港の出入り口近くに船を舫ました。翌朝は暗いうちから、驚かされます。すざましい数の漁船が全速力で出航して行くのです。我々のヨットは、全速力漁船の引き波で、早朝からバッタンバッタン翻弄されました。こちらのマストの金具が隣の船のマスト金具と絡んでしまいました。漁業基地、出入り口に近い所は、繋留禁止、一つ覚えました。
 さて帰路、ほとんど無風です。南の方にある台風の影響でうねりだけあります。8月初めの無風の海、信じがたい暑さでした。仕方がないので帆走はあきらめ、ディーゼルエンジンでゴロンゴロンと走りました。それが7時間も続いたのです。海の上でも、山の上でも、ちょうど良い気候の事はほとんど無く、たいていは寒すぎるか暑すぎるかのどちらかです。人間も参っていましたが、タイガーも暑さで参っていました。犬のように舌をだし、ハッハッハッハと呼吸をしていました。猫の犬式呼吸、初めて見ました。あまりに暑いので、人間の方は、時々ロープを流しておいて、海に入りました。
 五カ所湾の入り口にさしかかった時、2本のネズミ色の棒状の物が浮いていました。何だろうと数メートルまで近づいた時、バシャと音を立てて潜って行きました。昼寝をしていた夫婦のサメです。2.5メートル位の大きさでした。おそらく、ネコザメでヒトを襲う事はなさそうですが、さっき海に入り、ついでにオシッコをした事、もしかしたら、かじられたかも知れないと、ちょっと後悔をしました。ここは外洋です。何がいても不思議ではありません。
 アツーアツーとヨットハーバーに着き、とりあえず船を繋ぎ止め、プールに走りました。プールと言っても深さ70cmのお子様プールです。きっと良い事があるに違いないとタイガーも走って付いて来ました。最初、タイガーは人間がバシャバシャやっているのを、プールの周りを回りながら見ていました。涼しそうな様子に、たまりかねたのでしょう。とうとうプールの中に入りました。最初はちょっと慌てたようです。バシャバシャギャオーでしたが、すぐに慣れ、ネコッカキで泳いでいました。自分から水に入った猫を見たのは、タイガーだけです。
 ヨットと戦艦大和が浮かんでいた稲荷神社の池は、今は埋め立てられて公園になり、子供達の歓声が聞こえます。私の診療所の真ん前です。 

 リキ物語 第9話

 てん と リキ
 今リキが、マムシらしき蛇に噛まれてからちょうど一年後、同じ宮川上流へ行きました。リキは1歳と5ヶ月、立派な青年になっています。
 今リキは博多で生まれました。リキの母犬は、リキたちを生むためだけにドイツからやって来たそうです。見に行った時、確かに日本語は通じないようでした。今リキの実家は、元は端正な日本庭園であったらしき所に、犬が走り回っても怪我をしないようにとの配慮でしょうか、砂が敷き詰められていました。納屋を改造した、シェパード飼育室がいくつかありました。何組かの母子が過ごせるようになっています。
 私の元同僚に小倉出身の医者がいます。学会で博多に行った時、その同僚の出身大学の後輩たちと飲む機会がありました。 蛇皮線を抱えて踊りまくっている医者がいたり、先輩のお医者様の背中に馬乗りにまたがりハイードードーと走っている、若くて、すごい美人の女医さんがいたり、後で知る事ですが、その人たちがとっても優秀なお医者さまであったり、圧倒された事がありました。その中のちょっとハンサムな青年を紹介した時の言葉が「こいつシェパードに似ているでしょ、こいつ兄弟は全員シェパードなんです」。シェパード君の父上は、お医者さまとしても有名な方ですが、シェパードのブリーダーとしても、とっても有名な方だそうです。
 にリキが、リンパ肉腫で若死にした時、すぐに、さんリキを飼う事を考えていました。いちリキからにリキへの時も同じですが、すぐに同じシェパードが来る事により、ヒト側の感覚は完全に連続してしまうのです。もちろん、3匹の個体は別々である事は間違いありませんが、私の中では、いちリキ、にリキ、さんリキは、完全に連続して存在しています。
 二人のクローンの女性と恋に落ちたら、もしかしたら、同じような感覚を抱くのかも知れません。クローン人間がまだいなくて良かった良かった。
 今リキは一人で全日空に乗って伊丹にやって来ました。迎えに行ったとき、大きく深呼吸をし、フーと言いました。とっても不安で、そして安心したようでした。今リキが大きいくせに、どこか寂しがりやなのは、全日空に載せられた記憶から来るのかも知れません。
 母親ドイツ犬の今リキですから、ふつうの日本産のシェパードより、遥かに大きく育ちました。1歳と5ヶ月ですでに40Kgを越えていました。今リキの現在の体重46Kgです。
 さて、宮川上流です。片側絶壁の鎖場を通らねばなりません。既に、高い所を通る訓練は行っていましたから、まず大丈夫ですが、念のためハーネスとザイル代わりのリードを付けました。犬用のハンクスは、40kgには心もとないので、登山用のカラビナが付けてあります。でも、本当に40kgリキが落ちたら、絶対に確保はできないだろうと判りつつ、なんなく鎖場を通りすぎました。
 渓流に沿って山道を登って行きます。今リキはいつものように、振り返りつつ2メートルほど前を歩いて行きます。この“振り返りつつ”が本人にとってはとっても重要で、これは彼が群れを先導している証です。もし、シェパードが自分のペースだけで歩くなら、スピードはもっと早くなります。いわゆるオオカミ走りで、スタスタと早足です。リキの昔々先祖が仲間と、トナカイの群れを追って行くときはこの早足でした。この早足で何日も追跡を続けたそうです。だから、リキの振り返りつつは、こちらのペースにあわせて先導している証拠です。
 オーバーハングした岩陰を回り込んだ瞬間、リキがハッと立ち止まりました。「止まれ!リキ」、間に合いました。10メートルほど向こうのやはり岩陰を回り込んだ所に、親子連れが立ちすくんでいました。むりもありません、紀伊山地は日本オオカミ生き残り伝説で有名な地域です。
 脅かして「ごめんなさい」とすれ違いました。リキもニコニコと笑っていました。
 一時間ぐらい歩くと、左側に開けた河原が見えてきます。河原の対岸斜め上流に去年テントを張った段丘が見えます。リキが、こっちを振り向いて、目を輝かせて「エー」と言いました。去年の事を思い出したようです。リキが一人で走って行きました。一目散に河原を走り抜け、川に飛び込み、向こう岸を駆け上って行ってしまいました。そして、去年のキャンプ地におすわりをし、こっちを見て、「早くおいで」と言いました。人間の赤ちゃんが一年後に同じ所に行って、その場所を覚えているわけがありません。人間の年に換算するとして、5歳の時に初めて行った場所を15歳に再び訪れて、覚えていた事になります。犬の記憶力に驚かされました。きっと、臭覚も記憶の大きな部分を占めているのだと思います。
 リキはこの場所でマムシらしき蛇に噛まれています。生体反応から言いますと、一回目より、二回目の方が危険です。だから、本当は先に行かせたくなかったのですが、行ってしまいました。
 さて、今回の本来の目的は、渓流釣りです。昨年来て、アマゴがいる事は判っています。このあたりで最も釣れそうな場所は、キャンプ地の真前ですが、真っ先にリキが荒らしてしまいました。少し、上流に小さい滝の落ち込みと瀞場があります。こここそ、と思い、リキに待てをさせておいて、岩場に登りました。岩場から、瀞場まで2メートルの高低がありますから、リキも邪魔のしようがないと考えたのですが、竿を出して、いい感じで目印がポイントに入って行った時、カワウソのようなシェパードが、竿の下をくぐりました。ずっと下流の砂場から水に入り泳いで来たのです。
 もう、あきらめようかと思いましたが、青柳君と行った初めての渓流釣りをのぞいて、ボウズはありません。一匹でもつり上げずに置くものかと、矛先はリキに向けられました。大きな流木にリードを結びつけリキを繋ぎました。
 さて、釣り、後ろの方でリキが騒いでいましたが、ほっておいて釣りに専念しました。実はリキはほとんど繋がれた経験がありません。ひどい事になるだろうと思った通り、完全にもつれて動けなくなっていました。
 結局、この日はウグイが一匹釣れただけです。こんな山奥の渓流でウグイがいるのと思いましたが、ここには鮎も放流されているようです。ウグイの稚魚は小鮎に混じって琵琶湖からやってきました。そして、ダム湖の増水により源流部までやって来たのです。納得。
 今回は、釣りはあきらめてリキと遊ぶ事にしました。次の日は、天気も良く、まだ6月の終わりですが、夏日でした。気持ちがいいので、短パンを履き、長靴を脱ぎ、トレッキングシューズで水の中に入りました。バシャバシャやりながら、だんだんと深く、流れの速い方へ近づいていきます。リキの方は、もう走り回ったり、泳いだり、投げた木の枝を追いかけたり、有頂天です。こうなってくると、人間の方も、今日はきっと泳ぐ事になるだろうと、薄々判っています。小学校のプール掃除当番の時から、ヨットレースの表彰式まで、この予測は外れた事はありません。
 まだ、はっきりと覚悟は出来ていなかったのですが、足もとが急流にさらわれ、体を安定させようとすると、腰がずぶずぶと水の中に入りました。さらに、水圧が全身にかかり、ふあと体が浮きました。こうなると、抵抗しても無駄で、足を伸ばし、全身で浮力を受けるようにし、頭を岩にぶつけないように両腕で抱え、流れて行くしかありません。
 渓流釣りで、何回か水に流され、自然に覚えたテクニックです。幸い、日本の渓流は変化が激しく、10秒もすれば、静かな瀞場でぽっかりと浮いているか、次の浅瀬に乗り上げています。
 流された所は、岩がU字型に削られ、ウォタースライダーのようになっていました。途中に、やや傾斜の緩やかな所があり、川底のごろごろ石に足をかけて止まりました。突然、後ろから何かがぶつかりました。リキです。おもしろがって着いて来ていたのです。リキともがいているうちに、二匹とも次の急流に流されて行きました。
 リキは、流れの速い所は、少し怖かったのです。でも今日の出来事で、とっても面白い遊びを覚えてしまいました。急流であろうが、海であろうが、暑かろうが、寒かろうが、水を見れば突撃するリキの性格はこの日に完成したのです。そして、渓流釣りの付き添いには全く不向きな犬になりました。
 タオルを持って来てよかった、と体を拭き帰り支度を始めました。と言っても、着替えは車の中なので、ぬれたティーシャツを脱いで、炊事用具とテントと一緒にリュックに入れただけです。
 河原から、林道までの急斜面を登ろうとした時です。リキが耳を立て、ピタと止まりました。獲物を見つけたときの仕草です。そしてダッシュ。
見ると河原を茂み向かって黄色いきれいな毛皮が走っていきます。てんのようです。リキが左、右とフットワークを効かせ、てん君をホウの木の大木の根元に追いつめました。てん君は木の根元に打ち寄せられた流木の下に潜ったようです。するとリキが、左右にジャンプを繰り返しました。オオカミが小動物を獲物にするときの戦法です。ついにてん君は、大木を背に呆然と立ち尽くしました。
 「リキ、やめろ」、いまにも襲いかかろうとしたリキがハッと顔をあげました。そして、こちらを向いてニタと笑いました。そして「ジョウダンジョウダン」と言いました。リキは、子猫や、ウサギ、ペットとして飼われている小動物、そして人間の赤ちゃんを傷つけないように訓練されています。小動物や人間の赤ちゃんの前では伏せをするように教えこまれました。
 この日はてん君が、獲物から守るべき小ペットに、そしてリキが先祖のオオカミからシェパードへ、一瞬にして変わる所を目にしました。
 そのあと、リキはてん君には目もくれず、こちらに向かって歩いてきました。
 
 
 
 
 
 

リキ物語 第8話

 リキがマムシに噛まれた。
 今リキが、子供のとき三重県の宮川の上流へ連れて行きました。宮川ダムを越え、車で越えるには少し勇気がいる吊り橋を渡り、ここから落ちれば、助かるのは奇跡に違いない、でも自分は助かるだろうと勝手に思いながら、橋を渡り終え、さらにどんどん上流へ行きました。発電所のところで林道は終点になります。何台かの車が止めてありました。いつも、不思議に思うのですが、ここに車で来ている人々のほとんどは、山歩きに来ている人々のはずです。歩く事が目的でしょうから、少々たくさん歩いても楽しいはずです。ところが、その人々が乗って来た車は、終点からできるだけ近くに、団子のように止めてありました。コンビニの駐車場が入り口近くから詰まるのと同じ現象です。
 と思いながら、自分も団子の仲間入りをし、荷物を整えました。その夜は、どこかでキャンプをするつもりです。昔、いちリキが来る前に、山へキャンプに行く時は必ず運んだソニーファミリークラブの大テントはもうありません。この大テントの最後は、子供たちが庭に張りっぱなしして、基地として使われ、時々数人が泊まっていました。テントの横の栗の大木から、テントの屋根をトランポリンに見立ててジャンプ、完全に破壊に至りました。今使っているテントは一人用の軽量テントで1Kg少々の軽さです。炊事用具も最低重量のガソリンコンロとチタンの鍋兼どんぶり兼コヒーカップが一つだけです。スキーツアーでも、渓流釣りでも、荷物が10Kgを越えると、急に行動が制限されます。スキーでは、新雪を軽やかにターンする事ができなくなり、体は雪に沈み、急につまらない遊びになります。渓流では、岩から岩へ跳ぶ事ができません。一旦、水の中に入り、よっこらっしょとまた次の岩に登る事になります。
 子供の頃から、スキー大得意の叔父に連れられて、よく雪山に行きました。今は、スキーヤーとクライマー、さらにボーダーは、別々の種族に分類されています。ボーダーさんの多い斜面に、紛れ込んだりしますと、(ス)キーヤー、あっちイキヤーということになりますが、昔は山へ登る人とスキーをする人の境目はあまり定かでなかったのです。いまほど、ゴンドラやリフトは整備されていません。それに今のようにレジャーホテルなどもめったになく、山へ行く人の装備とスキーへ行く人の装備はあまり変わらなかったのです。でも、荷物の重量は違いました。学生時代、スキー部の合宿に入るときの荷物でもせいぜい20kgです。ところが、同じ大阪発長野行き、夜間急行“ちくま”に乗り合わせる同じ大学の山岳部やワンゲルの荷物は50kgだったそうです。荷物の軽い新入部員には訓練のためと称しレンガを入れてあるとも聞きました。こうなると、サドマゾの世界です。
 さて、宮川上流地帯、5kgほどのリュックを背負って、登山道に入りました。リキは1月生まれで、その年の6月末ですから、生後5ヶ月の少年です。発電所を過ぎてしばらくのところに片流れの岩場がありました。右手の岩に鎖が固定してあります。左はそのまま絶壁で、足を外すと20m下の川に落ちる事になります。リキはまだ高い所を通る訓練はできていません。彼のこれまで経験した一番高い所は、近所の公園の滑り台のはずです。リキにハーネスを付けました。にリキに、ローラーブレードを引っ張らせるために作ったハーネスです。もし、リキが足を踏み外し、ぶら下がった状態で暴れたら、ほんとうに引っぱり上げる事ができるかな、と心配しましたが、やはり彼はシェパードでした。人の後ろをちゃんとついて来てくれました。その後、大人になった今リキは高い所は平気になりました。家の新築工事現場で、3階の高さの足場に一人でリキが登っているのを見て驚いた事もありました。
 登山道を数キロ登った所の左側に、きれいな河原がありました。向こう岸は、一段高くなった段丘があり、広葉樹の森につながっています。いつも、渓流でキャンプをする時は、増水に備えて一段高い場所を選びます。川を渡り、森と河原の際にテントを張りました。昔、小学校の土佐先生に教えてもらった三角形の屋根型テントの時代は、張り方にもお作法がありましたが、今のテントは、傘をさすのとほとんど差がないくらい簡単に張れます。一応、四隅をペグで固定しました。
 最近、渓流で“キャンプ禁止”の看板をよく見かけます。キャンプは村営キャンプ場で、ともあります。まず、ここで言うキャンプとは、どこまでの事を言っているのかよく判りません。テントを張る事をキャンプと言っているのか、バーベキューをする事を言っているのか、単に寝るなと言っているのか、よく判らないのです。寝るだけならシュラフ一枚あればどこでも寝る事ができます。確かに、ダムの下流で、緊急放流により、テントが流される事はありますから、あと管理責任を追求されないよう、キャンプ禁止と書くのでしょう。これは、自分たちが危険な所にテントを張り、大雨が降っているにもかかわらず、退避もせず、公の機関に救助を求め、さらに、管理責任に対して補償を求める側に問題があります。自然の中での行動はすべて自己責任です。
 村営キャンプ上を作ってやったからそっちへ来い、はよく判りません。第一、村営キャンプ場は遥か下流、生活排水の混じった、泡の立つ水が流れる河原の公園の横にあります。電気とか水道はありますが、大型キャンピングカーで来たパパは野球中継を見、子供たちはテレビゲームをしている仲間にはなりたくありません。政府補助金があるあいだは営業をしていたのでしょうが、それが打ち切られると、打ち捨てられているキャンプ場もよく目にします。昔々、トミーが小学校1年生の時に、北海道へキャンプ旅行に行きました。キャンプ禁止、キャンプ禁止、キャンプ禁止キャンペーンは、本州よりも北海道に先に現れたようです。テントを張る場所を探すのに苦労しました。かなり奥深い林道に入りやっとテントが張れる場所を見つけました。当時乗っていた車は、旧型のランドクルーザーです。軍隊しか使わないような車がやっと通れる道の奥まで入ったので、やっと、ゆっくり寝られると思ったとき、営林署の職員二人が、日産パトロールに乗ってやって来ました。日産パトロールとは田舎の警察のために作った四輪駆動車です。「ここは立ち入り禁止です」「なぜですか?」「ここは国有林だから立ち入りはだめです」「私は、日本の国民です、国有林ならば国民が入ることができるはずです」「国民の森ではありません、国の森です」、「国と国民は違うのですか」「違います」どこかで聞いた事がある議論だと気がつきました。国を守ると言って、多くの国民を死に追いやった国があります。どうも、お役人は国と国民をはっきりと使い分けていらっしゃるようです。
 さて、リキと一晩過ごすキャンプもできました。テントの横に、ちょうど腰をかけるのに都合の良い倒木もあります。ふと見ると、倒木の向こう側に鎌首を持ち上げている蛇がいました。えらの張った三角形の頭、小判型の模様、そう、どう見てもマムシに見えます。でも、まだ子供らしく、せいぜい30cmぐらいの大きさでした。噛まれると具合がよろしくなさそうなので、石をなげて、林の中に行ってもらいました。いちリキにとってははじめてのフィールドワークです。まだ、それほど大きくはありませんから、テントの中に入れてあげても良かったのですが、暖かい季節です、訓練もかねて外で寝てもらう事にしました。夜中、テントの外でリキが吠えていました。それほど、警戒するような吠え方ではなく、誰かと遊んでいる時の吠え方です。狐でも来たかと思いつつ、眠いので、ほっておきました。
 翌朝、釣りの用意のため、4時起床、リキを呼びます。リキはテントと倒木の間で寝ていて、すぐにやって来ました。周りが少し明るくなって、そろそろ釣り始めようかと思ったとき、リキの鼻に赤い点が二つ付いているのに気がつきました。血です。それに、鼻から付け根にかけて腫れ上がっています。あっマムシ、と気がつきました。昨夜のリキの声は蛇に対して吠えていたのです。だから、遊び声だったのです。リキがからかって、蛇が反撃、鼻の二つの点は、ちょうど蛇の牙の間隔でした。もし、マムシなら、蛇毒血清、でも犬用があるのかどうか知りません。それに、リキの鼻は腫れていますが、普通に元気で、すこぶるご機嫌です。ショックに陥っているようには決して見えません。しばらく様子を見る事にしました。
 リキの鼻は2-3日腫れていました。あの蛇が、はたしてマムシであったのかどうか本当は不明です。夕方に見た蛇と、夜中にリキを噛んだ蛇が同じ蛇であるかどうかもわからないのです。インターネットで調べますと、アオダイショウの子蛇とマムシはとっても似た文様を持っていて、頭を三角にして、攻撃をしてくる事があるそうです。子マムシだったので、蛇毒が少なかったのかも知れません。例えば、マングースがそうであるように、犬族は蛇毒に対してヒトより抵抗力があるのかも知れません。
 ここでの思い出はリキにとって強烈であったらしく、ちょうど1年後、500mほど手前で、このキャンプ地を見つけ、一匹で走って行き、川を泳いで渡り、ここだここだと言って座って、私が着くのを待っていました。
 

リキ物語 第7話 

 リキと渓流
 初めて、渓流へ釣りに行ったのは8月も終わりの頃です。この時期は渇水で、アブがいて、とても釣りにならない時期だという事は今はよく知っていますから、めったに行きませんが、当時はまったく知りませんでした。なんとなく、渓流釣りという言葉に憧れて、一応、コブナもハヤもヤマメも、一同に書いた川釣りの本を読んで、一番安い竿を買って、2万5000分の1の地図を用意して、青柳君一家を誘って、奈良県の奥にある天川村へ向かいました。地図を見ると上流へ行けばいかにも釣れそうです。釣りの本には源流のイワナなどの写真が載っていましたから、実は前の晩から、遠足の前日の少年そのものでした。
 河合から、上流へ向かいます。今はかなり奥まで舗装されていますが、当時は、普通乗用車で本当に行けるのかなと思うような恐ろしい道でした。片側は断崖絶壁、一抱えもある岩がごろごろ、車一台がやっとの道幅です。
関西電力のダム湖を過ぎたあたりから、木々の間から、見た事がないきれいな水が流れる渓流が見えてきました。
 今は、必ず暗いうちから用意をし、糸に付けた目印がやっと見えるぐらいの薄明と同時に釣り始めますが、その時は何も知りません。道幅に余裕のある場所に車を止め、まずは食事と、たき火を始め、飯を炊きました。小学校の時から、青柳君とは土佐先生に連れられてよく飯ごう炊爨に行っていたのです。
 さて、飯も終わって、釣り始めました。全く釣れません。流れの速い瀬の岩に針を引っかけ、水面の上を覆う木の枝に仕掛けをとられ、その度に仕掛けを作るものですから、効率の悪い事この上なしです。三時間ぐらい奮闘して、あきらめた頃、青柳君が釣りました。10cmにも満たないかわいらしいアマゴです。天川ではアメノウオ、もしくはなまってアメノオと言います。アマゴは若いほど朱点が鮮やかできれいに見え、日本にこんなきれいな魚がいたのかと思いました。青柳君は、コイ釣り用の、太く長い重たい竿でこのかわいらしいアマゴをつり上げたのでした。
 天川は9月から禁漁です。その秋から翌年の解禁まで、渓流釣りの本を読みあさりました。本を読んだから釣りがうまくなるわけもないでしょうが、基本的な知識は得たつもりになりました。さて、翌年の3月15日、当然前日からテントを張っています。ソニーファミリークラブの通信販売で手に入れた、3畳間が3室もあるでかいテントです。なれるに従い、荷物は小さくなりますが、当時は、コールマンの炊事コンロ、コールマンランタン2個、ベット3人分、なべ、豚汁の材料と、まさにアフリカ探検隊そのものでした。今では、渓流でもスキーツアーでも、テントもシュラフも、コンロも、食器も、最も軽量の物を最低限のみ携行するようになりました。
 午前3時にわくわくして目が覚めました。寒くてブランデーとコーヒーを飲み、真っ暗な中、岩場をはい登り、小さい滝壺に陣を構えました。まだ目印がよく見えません。どうなっているのかなと竿をあげようとした矢先、いきなり竿が引き込まれました。ドキドキ、ワクワク、バタバタです。25cmの、当時の私にとっては大イワナでした。この時以来、渓流釣りの虜になりました。
 実はこの時、リキはまだまだいません。タイガーがわが家の住人になるのも、この後5-6年後の事です。
 いちリキが、やっと一歳になった頃、天川に連れて行きました。今から考えますと、いちリキにはずいぶん激しい態度でトレーニングをしたと思います。言う事を聞かないと、容赦なくムチを飛ばしました。初めての山でリキも心細かったのでしょう。テントの中に潜り込もうとしました。そしてアルミのコッヘルで横つらを張り飛ばされました。子供の時に読んだ、荒野の呼び声、という犬の冒険物語に、これと同じシーンが出てきます。少年少女文学全集で読んだのを覚えています。作者は覚えていなかったのですが、便利なインターネットで検索すると、作者はジャック、ロンドン(1876-1916)、犬はセントバーナードで名前はバックです。南国の大きなお屋敷で、花園に集まるクマバチを眺めながら不自由なく暮らしていたバックが、数奇な運命により、サーカス小屋でいじめられたり、アラスカで犬ぞり隊に入ったり、苦労の末、最後はオオカミの群れを統率するリーダーになる物語です。バックがそり犬になった最初の晩、寒くてテントに潜り込もうとして、フライパンで叩きのめされるシーンがありました。でも、バックは、犬ぞり隊のマーシャルをとっても尊敬するようになり、自らリーダー犬になっていきます。アルミのコッヘルを使ったとき、この物語を思い出していました。しかる時はしかる。甘やかす時は甘やかす。ほめる時はほめる。公正にさえすれば、犬の尊敬は得る事ができます。と言いながらも、私の犬の訓練方法はどんどん甘くなっているようです。面白い事に、厳しくても、甘くとも、訓練の出来上がりはあまり変わりはありません。でも、いまリキは、山で寝る時は、テントの中の一番寝心地の良いところで両手両足を思いっきり伸ばして寝ています。
 さて、夜の間、しばらくはうろうろしていたいちリキは、最後にはテントの側の、私の体温を感じるところを寝場所と決めたようでした。いちリキと渓流釣りの朝がやってきました。初めてのイワナからはかなり時が立っていますから、釣り人としてもベテランの部類に入ってきています。人があまり釣れていない時でも、たいてい、1ダースは釣れていました。それと同時に、どんどん、奥へ、源流へ入っていくようになっていました。
 実は、奥へ入れば入るほど釣れると言うわけではありません。水が少なくなるにつれ、魚の数は減ってきます。餌が少ない分、魚も痩せてきます。でも当時は、この滝の向こうはどうなっているのだろうと、どんどん奥に入っていきました。
 山の中で、犬と人間と、通れる場所が異なります。人間は垂直の壁でも手が届けばなんとか登れます。シェパードも2mぐらいはジャンプができますが、助走が必要です。犬は垂直のはしごを登る事もおりる事もできません。公園の滑り台のはしごの角度が、登るのも降りるのも限界のようです。したがって、渓流の源流部に行くのに、私のルートとリキのルートは異なります。リキは私の姿と臭いを追いながら必死になってついて来ました。リキが戸惑っていると、「リキ!シェパードやろ、行け、ジャンプ」と声がかかりました。私の方は、太ももまでのゴム長を履いています。私が歩いて渡河できるところでも、リキは泳がねばなりません。3月の川の冷たさに、さすがのリキも戸惑っていました。ここも、私が先に渡って、「リキ、シェパード、来い」。さすがに来ません。水際でおすわりをしてしまいました。仕方がないので、戻って、リードを付けて、「Go、Go、Go」やっと付いて来てくれました。向こう岸に渡ったときリキがとっても得意そうな顔をしました。
 これ以後、リキはどんなところでもついてきます。いちリキは、水の中に投げた石を、顔を水につけて見つけてくるほどになりました。にリキは水泳が嫌いです。ヨットハーバーで3回ほど桟橋から落ちたのと、泳ぎたがらない、にリキを、私が焦って、海にほり込んだのが原因です。にリキを渓流につれて行きました。揖保川の上流で、岐阜県、滋賀県、福井県の県境です。イヌワシの生息地域としても有名で、ダム建設の反対運動が起こっています。その時は雪が消えた直後で、今年になってからは誰も入っていないようなところです。熊でも出て来たらどうしようと思いました。「シェパードがいるから良いよね」と言った矢先、リキがウーと低く唸りました。何かの臭いを嗅ぎ付けたようです。気持ち悪くなって、「リキ帰ろうか」と言ったとたん、にリキは来た道を100mほど走って先に戻ってしまいました。彼が得意とするのは千里中央の雑踏の中です。完全シティーボーイでした。私の行きつけの飲み屋について来て、止まり木に座り、女の子を相手に冗談をとばし、1500円のカバーチャージをとられたのも、にリキでした。
 いまリキは、あまり激しい訓練はされていません。いつも一緒に遊んでいる気分です。こっちが水に入ってわいわいやっていると勝手に側にきて泳いでいました。今では、ほっておくと、同じところをグルグル回っていつまでも泳いでいます。ですから、いまリキを釣りに連れて行くと、釣りになりません。岩陰から静かに竿を出して、釣りを始めると、カワウソのようにしっぽをのばした、シェパードが竿の下をくぐって行きました。
 
 
 
 


リキ物語 第6話

 猫を育てたシェパード
 動物と動物が出会った時、最初から仲良くることもあります。何回会っても仲が悪く、必ずけんかになる犬同士がいます。動物の種類が異なる場合は時には、気の毒にもどちらかが、餌になる事もあるはずです。
 いちリキがまだ耳が立っていない子供のときでした。散歩の最中、ご近所の門から突然、大きな犬が飛び出して来ました。赤茶色のロングヘア、日本でよく飼われていたジャパンスピッツと日本犬の合の子のような犬でした。当時は、まだまだ放し飼いの犬もいて、ある意味では犬にとって幸せな時代だったのです。とっさの事で、リキを庇う事ができず、リキはひっくり返されお腹をがぶりとやられました。幸い少し血がにじむ程度ですみました。それから、1年ぐらいたった時のことです。赤茶色ロングヘア君が、家の前を通りかかりました。リキが子供の時は大きな犬と思いましたが、成犬になったシェパードから見れば、半分位の大きさです。誰かが帰って来て門を開けた瞬間でした。リキが突進しました。体当たりで相手がお腹を上にして転んだ瞬間、お腹をがぶりでした。子供の時にやられたことを覚えていて、仕返しをしたのです。これも幸い、大事にはいたらず、キャイン、キャイン、キャインと赤茶色ロングヘア君が逃げていきました。どのリキでも、同じですが、シェパードは犬を見れば飛びかかって行くような性格ではありません。いちリキは、妹のアンとはいつも激しいレスリングをして遊んでいました。アンは私のいとこの家に飼われていて、よく遊びに来るのです。わが家の庭にいつも入ってくる近所のビーグル君とも大の仲良しでした。相手が小さいとちゃんと気を使って、アンにするようなレスリングごっこはしません。山羊や、猫とも、適当な距離を保って平和でした。いまリキは、とっても仲のよいサクラもクロラブで、公園で会うクロラブ、ショコラとは普通で、一番仲の悪いご近所の犬もクロラブです。どちらかのリードが離れていると、取っ組み合いが始まります。すき、嫌いは単純に雄・雌では決まっていません。この関係は相手が人間の場合も同じです。犬でも猫でも、人間でも相手がリキの事を嫌いであったり、怖がったりするとリキの方も嫌いになります。きっと、嫌い嫌いアドレナリンが臭いの中に混じるのです。
 最近流行の、ペットショップで売っている、ぬいぐるみのような犬をつれたご夫人が、リキを見て血相を変えてご自分の犬を抱きかかえました。食べられたら大変とお考えになったようです。まず、嫌い嫌いアドレナリンがご夫人から分泌されます。その分泌物にぬいぐるみ君が反応して、また嫌い嫌いアドレナリンが分泌されます。その臭いに気がついたリキは、横を通り過ぎるとき、ジロとご夫人とぬいぐるみペット君を、にらみつけました。
 まだ、歩くのも大変な子犬をつれたご夫人がいました。リキが近づくと、子犬がニコニコ笑って、腹這いになりました。怖がらせてはいけないと、道路の端を通ろうとすると、ご夫人が「あのー、待っていたんですけど」。子犬君は、リキにとっても憧れていたそうです。リキが子犬の側へ行き、鼻チョンをしました。きっと好き好きホルモンが分泌されるのです。これで、この子犬とはいつまでもお友達になるはずです。
 隣のマルチーズ軍団とは、好き嫌いの関係ではなく、リキにとって大の苦手で、その仲でも一番小さい赤いリボンを付けた女の子が最も苦手です。いつも、ウェストハイランドホワイトテリアも混じっているような勇敢なお父ちゃんを先頭に6匹で6方向から突撃され、最後に赤リボンちゃんが、リキの後ろ足をがぶりとやります。赤リボンちゃんは小さくて、門や塀の隙間からすぐ出てくるのです。リキはエーと足をプルプルと降って急いで家に帰ります。赤リボンちゃんの大きさはリキの顔ぐらいのものです。ティラノザウルスに人間が挑戦しているようなもので、振り返ってひと噛みと心配しますが、そうはなりません。
 さて、にリキの時代のことです。冬の夕方、リキを連れて散歩に出ました。いつもの公園で、リキがなんかそわそわしてます。リードを離すと、さっとユキヤナギの茂みの中に入って行きました。なかなか出てきません。呼ぶと、驚いたことに、鼻で子猫を押しながら出てきました。子猫と言っても、中子猫です。捨て猫かなと思いましたが、それほど痩せてははいません。ご近所の迷い猫かなと思いつつ、リキが危害を加えなくて良かった良かったと、公園を一周して、再び猫さんのいたユキヤナギの茂みを通り、わが家の方向に向かいました。50メートルほど行った時、ふと振り向くと、中子猫君が付いてきました。人なつこい猫と思いましが、それは間違いで、犬なつこい猫だったのです。リキが振り返ると、ちょこちょこと走りよってきます。いつまでも付いて来ました。迷い猫で、寂しいのだろう、公園じゃ寒かろうと言う事になり、わが家へ連れて帰りました。お腹をすかせていたらしく、がつがつとご飯を食べました。タイガーもしょっちゅうよそ様のお家でご飯をいただいているようですが、必ず帰ってきます。飼い猫であればそのうち帰って行くだろうと言う事になり、クーガーのわが家での生活が始まりました。クーガーはアメリカンショートヘアのようです。
 わが家にはアジアのネコ科の猛獣タイガーがいましたから、アメリカ大陸のネコ科の猛獣、クーガーと名付けられたのです。クガーを飼っているのは、我々人間ではありません。リキです。リキがいつも側に付いていました。クーガーもリキからははなれません。リキにぴったりと密着して寝ます。リキはそのクーガーを大きな舌でべろべろなめます。子供のときのクーガーはいつも、リキのよだれでびしょびしょでした。クーガーはアメリカンショートヘアらしく、ずいぶん大きくなりました。大きくなっても、リキをお母さんのようにしたって離れません。いつも一緒に寝ていました。ちなみにリキはオス犬です。
 そのころ、隣の祖父母の家には、ドブと呼ばれるまたまた根性マッキキのオス猫が住んでいました。息子のトミーが関東の下宿を引き払って帰ってくるときに連れて来た猫です。元々は野良猫で、猫の大好きなトミーに餌をもらっていたそうです。苦労した末、現在の、飯の心配をしなくて良い地位をやっと勝ち取った猫でした。ドブと呼ばれているのはあまりに汚かったからです。顔はふてぶてしく、いかにも田舎やくざの親分でした。
 タイガーはもうその頃は生殖年齢を過ぎていました。タイガーを巡る争いだったのか、それとも単なる地位争いだったのかは判りませんが、ドブとクーガーのバトルが始まりました。それ以前も、ドブはご近所のオス猫と出入りを繰り返し、いつも眉間に大きな刀傷を付けていました。ドブの意識の中では、わが家も彼の縄張りであったようです。どんどん、大きくなり、精悍そうに見えるアメリカンショートヘアのハンサム若侍に、将来きっと自分の地位を脅かされるに違いないと思ったのでしょう。捨て身の攻撃をかけてきました。
 ある日、とうとうクーガーの姿を見なくなりました。1週ぐらい後、庭でちらっとクーガーが走っているのを見ましたがそれが最後でした。元の飼い主のところへ戻ったのかもしれません。好奇心旺盛の、人なつっこい、そして犬なつっこい猫でしたから、どこかで新しい生活を始めたのかもしれません。
 それから半年後、わが家から数百メートルのところをリキと散歩をしていると、大きな黒っぽい虎猫がリキに体当たりをして走って行きました。夜だったのでよく見えなかったのですが、シェパードに体当たりをする猫、そうざらにはいないはずです。彼らの友情はずっとつづいていて、夜など遊びに来ていたのかもしれません。

リキ物語 第5話

 犬ぞり隊訓練中
 そり犬としてのリキのポジションは決まっています。左側の先頭です。このポジションはリーダー犬のポジションであり、そり犬にとって、とっても名誉あるポジションです。彼は決してこの場所を他人に渡そうとはしません。頑固に守り抜いています。ただし、リキの所属する犬ぞりチームはたいていは犬一匹だけです。また、生活環境が雪国ではないので、引っ張っているのは、そりではなく、たいていは自転車です。したがって、リキは必ず自転車の左前を走ります。ハーネスと引き綱は、イヌイットの人々が登場する記録映画の犬ぞりシーンを、目を皿のようにして見て、登山用品のテープを縫い合わせて造りました。引き綱は5m、自転車のサドルに縛り、ハンドルの上を通ってリキのハーネスにつながります。
 リキ用自作ハーネスは、海に飛び込んでしまったリキをカヌーやヨットハーバーの桟橋の上に引き上げるのにも、とっても役立っています。ちなみに、さんリキは水泳大好き大得意で、水があると、なんとか理由を見つけては飛び込もうとします。人が釣り竿をふってルアーを飛ばした。それドボン。リキの釣り場荒らしは有名です。ヨットを桟橋に付けるときにだれかがロープを投げた。それドボン。
 犬ぞり訓練に話を戻します。どうも、さんリキは自転車も仲間と思っているらしく、スタートの時に自転車の走りだしが遅いと、「こらーもたもたするな、Go Go Go」と自転車の前輪を噛んで叱咤します。自転車の前輪を二番犬と考えているようです。何かの映画で、本物のそり犬が、もたもたしている犬の足を噛んで、叱咤しているのを見ました。羊の世話している牧羊犬も、羊を追うのに後ろ足を噛むようです。自転車君を犬族の仲間か、もしくは自分が世話を焼いている他の動物の一種だと思っている証拠は他にもあります。
 以前にもお話しましたが、さんリキは待て命令がとっても苦手です。原っぱの真ん中に座らせ、「待て」と言って、私が背中を見せて歩きだします。15m歩いて、ハッと振り返ると、リキは確かに神妙におすわりをしていますが、よく見ると元々座っていた場所からは3mほど近くなっています。もう一度後ろを向いて10m歩いて振り返ると、またまたリキは移動をして、素知らぬ顔で座っています。後ろを向いて、すぐに振り返ると、リキが動いているのをを見つけました。リキみっけ。子供のときに遊んだ、だるまさんが転んだ、と一緒です。鬼になった子供が後ろを向いて、「ダールマさんがころんだ」と言っている間に、他の子供たちが鬼に近づきます。鬼に、動いている所を見かったら、「みっけ」と鬼に捕まります。鬼は、誰かに、背中をドンと触られたら、もう一度鬼をしなければなりません。ちなみに、私の住んでいる北大阪一帯では、この遊びのことを「最初の一歩」言っていました。鬼は「ダルマさんが転んだ」の代わりに「さいしょの一歩」と言って目を閉じます。リキ相手に、この「ダルマさんが転んだ」をやっても、結構あそべます。そのうち、両方ともがかなり真剣になってゲームをしていることにハッと気がつき、少しこっ恥ずかしくなりました。   
 しかし、自転車君がいると、リキは「ダルマさんが転んだ」はしません。自転車の側で、じっと待っています。自転車君から少し離れた所でおすわりをさせると、目を離したすきにすぐ自転車君の所に行きます。やはり、自転車君はお友達か仲間のようです。
 犬の訓練教本によると、犬に人間の前を行かせることは、マナー違反ということになっています。歩く時も、自転車でも、犬は人間の左側少し後ろに付かねばなりません。でも、さんリキは、どうしてもヒトより少し前に出たがります。リードを付けていても、付けていなくても同じです。ヒトより2-3歩前を行きます。冷蔵庫のドアを開けると、ヒトより先に顔をつっこみます。靴箱も同じです。今日は、どの靴を履くのかを確認します。実は靴によって、私がどこへ行くかが判ります。革靴は仕事、リキは関係ありません。ゴム長、確実に、お散歩か犬ぞり訓練です。スニーカー、ヨットには連れて行ってくれる時とそうでない時があります。急いでワゴン車の後ろに行って、存在を主張せねばなりません。ブリーフケースから書類を取り出そうとしても、旅行鞄から洗濯物のパンツを出そうとしても、リキの大きな顔がヌーと、こちらの顔の前に出てきます。ヒトと同じことをヒトより先にやりたいのです。タケノコを掘っても、ヒトより先にタケノコをくわえて引っ張ります。
 こんなリキですから、大好き自転車君と一緒にしたら、後ろを付いてくるわけがありません。自転車君につないだとたん、ワオ、ワオ、ワオ、犬ぞり隊出発のお定まりの大音響となり、自転車君の前足に噛み付きます。リードがもつれると危ないので、仕方がなく、こちらもGo、Go、Go、という事になり、自然発生的に犬ぞり隊が結成されました。
 実は、リキの名前は有名なそり犬の名前です。いちリキがわが家へ来る少し前、南極物語が上映されました。ちょっと可愛い子と見に行ったのですが、この物語とは関係がないので省きます。南極物語で、南極の冬を乗り切った太郎と次郎の話は有名ですが、リキは南極探検隊犬ぞり隊のリーダー犬だったのです。南極物語のエピローグでは、太郎や次郎を助けるため戦ったことになっていました。このとき以来、いつかは犬ぞりを扱いたいと思っていました。シェパードは、一日に50kmもそりを引いて走るのは無理かも知れませんが、側を走り、そり犬軍団の指揮をとらせる事はできるだろうと考えたのです。そして、わが家の最初のシェパードにリキという名前が与えられました。
 いちリキは、犬ぞり隊訓練は行っていません。模範的な警察犬訓練をこなしました。鼻がとっても良く、一回臭いをかかせると、確実に追跡ができました。真っ暗な夜、臭いを覚えさせたボールを、ススキとブッシュが生い茂る原っぱに投げます。ちなみに河内弁ではこのような所を「ガサンバラ」と言います。いちリキは時間は少しかかりますが、確実にボールを拾ってきました。見つけるまでは絶対に帰ってきません。見ていると完全なローラー作戦です。草原の端から順番に臭いを追って行きます。だんだんと臭いの強くなる方へ向かっていきます。反対方向へ行くと臭いが薄くなるのでしょう、くるっと向きをかえます。いちリキ時代、警察犬訓練と救助犬訓練が忙しく犬ぞり訓練をする時間がなかったのでした。
 にリキの時は、ローラーブレードを引っ張ってもらいました。Go、Goと言うと適当なスピードで走ってくれます。ローラーブレードとは、アイススケートのブレードの代わりに5-6個の車輪を付けたもので、インラインスケートともいいます。乗っている感覚はスケートよりもスキーに似ています。ただ、スキーのようにエッジを効かせて急停止ができないので、スピードのコントロールが重要です。にリキは、止まれの命令で急停止ができますから、ローラーブレードを引っ張るには都合がよかったのです。
 大阪城公園や、千里中央のセルシー広場で、よくローラーブレードに乗って遊びました。若い男の子ならまだしも、おじさんがローラーブレードに乗って、しかも大きな犬をつれて、店の中まで入ってくるので、モスバーガーのお嬢さんがびっくりして、それから吹き出しました。びっくりするまでは、理解できましたが、吹き出した理由は定かでありません。そのとき、セルシー広場には、スケートボード禁止と看板が出ていました。スケートボードは、サーフボードを小さくして車を付けたものです。スケートボードとローラーブレードは違うので、いいだろうと言う事で遊んでいましたが、しばらくして、「スケートボード等の遊戯禁止」の看板に変わりました。新しい文化が日本で発生しない理由はこの辺りにありそうです。
 さて、さんリキ、最初はローラーブレードで試しました。Go、猛然と走りはじめました。ものすごいスピードで左右のローラーブレードが横ゆれを始めました。最近流行の短いスキーに乗って直滑降でスピードを出すと左右のスキーがバラバラに横揺れをするのと同じです。あまりのスピードとローラーブレードの横揺れに恐怖を覚え、引き綱を離し、公園の散歩道の端石にブレードをぶつけて止めようとしました。スピードが早すぎたのです。私の体は水平に飛んで行きました。
 それ以後、さんリキ用訓練そりはマウンテンバイクにしました。左へ、右へ、まっすぐは理解します。犬ぞり用語の「ハイク、ハイク」は「Go、Go」と同じとも理解しました。しかし、「イージー」、「ゆっくり」は言う事を聞くまでなぜか、ワンテンポおくれます。マウンテンバイク犬ぞり訓練はなかなか快適で、豊中から箕面往復10kmなど、中距離走破もこなすようになりました。 公園の中のアップダウンのある荒れ地もこなします。ほんものの犬ぞりと一緒で、トレイル(道)のある方が走りやすいようです。だだ広いところは苦手です。他の犬と出会ったとき、リードが長いのでコントロールできるか、少し不安でしたが、リキは大得意で胸をはって他の犬の横を通り過ぎました。
 さて、そんなリキにほんものの雪の上でそりを引くチャンスが巡ってきました。そりと言ってもマーシャルが乗っているのはスキーです。どうもこのゲームはスポーツとしてすでに存在しているらしく、馬にスキーを引かせてスピードを競うゲームが昔の冬期オリンピックにあったと聞きました。あまりに危険なので、現在は馬を犬に代えて行われているそうです。
 もし、このゲームが冬期オリンピックに復活すれば、われわれは日本代表になるチャンスがあります。
 さて、雪の上での初体験、私もリキも十分に楽しんでいました。ところが思わぬ落とし穴がありました。先にも話しましたが、こちらがモタモタすると、リキはこちらを向いて叱咤します。リーダー犬の任務と思っています。一方こちらが履いているスキーは登山用のスキーですが、登山とスキーとどちらが主かと言われると、誰も滑っていない斜面を滑る事を最大の喜びとするための登山なので、スキーが主です。したがって、私のスキーには、アルペンのスキーと同様の金属のエッジが付いています。しかも私の常として、エッジはヤスリでピカピカに磨いてあります。こちらがモタとした瞬間リキが振り返りました。しばらくはそのまま走っていましたが、次第に雪面が赤く染まってきました。リキの右前足外側、右後ろ足、外側そして、左後ろ足内側が切れていました。大きい傷は長さ3cm、深さ1cmはありました。慌てて車に帰り、売店でテーピング用のテープを買い、私の靴下を履かせた上からテープで包帯をしました。幸い、出血は止まり、そのまま帰宅。当然、縫合をしなければならないと、次の朝包帯をとって驚きました。すでに、傷が盛り上がり始めています。
 外科学の教科書の第一章に創傷治癒の話が書いてあります。まず、メスですぱっと切ったような傷を縫い合わせると、創傷の一次治癒という過程でなおります。およそ1週で傷は閉じ、10日で完全に元にもどります。ところが、ざっくりと開いたような傷は、創傷の二次治癒と呼ばれる経過をとり、徐々に肉が盛り上がり、完全に癒合するには一月と書かれてあります。そして、ケロイドになります。二次治癒になるなと思ったリキの傷は、縫合もせずに、1週でほぼ癒合しました。一ヶ月もすると、完全に元通りの足になりました。
 さて、その後も犬ぞり隊訓練は続いています。夏の間は熱中症の危険があるのでお休みしますが、11月の最近は、毎日のように訓練です。さんリキも、もうじき7歳になり、口の周りに白い毛が目立つようになりました。猛然ダッシュも、加減をするようになっています。ペースを考えて走るのです。私も、リキも、生物学的年齢はほぼ一緒ですが、ほんものの犬ぞりレースに出る事をあきらめたわけではありません。南極はすでに犬の上陸を認めていません。南極に行く事はなさそうです。でも、環境保護と言いながら、スノーモービルや雪上車は良くて、犬がだめだ、と言う理由がよくわかりません。アラスカ位はチャンスがあるかもしれません。
 大糸線平岩駅から蓮華温泉を通り、白馬乗鞍岳へのルート工作は昨年と今年の春に、両方向から3回に分けて行いました。そのうち、平岩からの登りルート2回はリキもついて来ています。

リキ物語 第4話

 鼻を切られたシェパード
 猫であるはずのタイガーは、とても、猫とは思えない娘に育っていきました。まず普通の家猫のように、ヒトに媚びることがありません。もちろん、お腹が空いた時は、飯をよこせと堂々と対等に要求します。しかし、冷蔵庫から、気に入らないものが出てくると、本当に猫またぎをします。冷蔵庫の臭いの移ったじゃこなどは、見向きもしません。というより、最初から、今日は「ひらめの縁側が良い」とか、「あじの開きが食べたい」とか「たまには、あっさりと長芋のたいたん」とか決めているようでした。今日はうまいものがなさそうだと判ると、自分で調達に行きます。狩りの腕前はなかなかたいしたもののようでした。
 タイガーが初めての狩りに成功した朝のことです。目をギラギラ輝かしたタイガーが小鳥をくわえて、さも得意そうに見せに来ました。わざと生かせてあります。グアオー、ばたばたする小鳥を床において、ギラリ・ニタリとこちらを見ました。サチコは「キャーやめてタイガー」と叫び、小鳥をくわえたままのタイガーの首をつまんで、玄関に閉じ込めました。しばらく物音がしていましたが、やがて玄関は静かになり、舌なめずりをしているタイガーのほかは羽とくちばしだけが散らばっていました。
 せっかく大手柄をたてて、みんなに見せに来たのに、このとき彼女のプライドは、ずいぶん傷ついたようです。
 それから、2-3日後のことです。突然、トイレの中から「ギイヤー」「イヤー」「ワアー」と、ほとんど断末魔のような悲鳴がしました。タイガーが傷ついたプライドの腹いせに、トイレのマットの下に蛇を隠しておいたのです。30cmばかりのヤマカガシです。まだモゾモゾ動いていました。
 しばらくの間、トイレのマットの下にはおよそ人間のメスが嫌うすべてのものが隠してありました。トカゲ、ヤモリ、ムカデ、ゲジゲジ、クモ、ネズミ、ジュゲムジュゲム、魑魅魍魎。タイガーはこれらのゲテモノは決して食べません。明らかに、人間のメスを怖がらせて楽しんでいたようでした。
 タイガーの野生がどんどん磨かれて行きます。犬は自分で訓練をすることはありませが、どうやら、猫は自分でトレーニングプログラムを決めて挑戦をしているようです。いちリキもさんリキもジャンプは大得意ですが、犬が一人でジャンプの練習をしているところは見たことがありません。わが家の天井の近くに、目的のよく判らない棚があります。どうも建築家がデザイン上の気まぐれで付けたようです。目的がよくわからないので、たいていは何も置かれていません。タイガーがこれに目を付けました。最初は机やソファーの上から飛び上がります。次第に踏切場所を低い所に移していきます。最後には床からダイレクトにジャンプをすることができました。3mの高さです。なぜ飛び上がるのかだれにもわかりません。どう考えても挑戦とトレーニングです。タイガーの日頃のトレーニングは完璧なサーキットトレーニングでした。走る、壁に爪を立て床に背中を滑らしたタイガー横走り、すごいスピードです。途中で高い棚までジャンプ、ヒトの手や足を獲物に見立てて攻撃。ランニング、跳び箱、鉄棒、ダッシュ、スポーツ選手のサーキットトレーニングと同じです。
 あるとき、窓から見ていると、キジバトの夫婦が庭で餌をついばんでいました。草刈りのあとには草の実がばらまかれているのでしょう。鳥たちが集まってきます。キジバトは、草の実を食べに集まってくる鳥の中では最大で、わが家の周りに生えているネズミモチに巣がけをしている夫婦です。目を移すと、その後ろ5mの刈り残しの草むらの中にタイガーが伏せていました。タイガーの毛色はブッシュの中では完全な保護色でよく見ないと気づかれません。一つの動作から次の動作まで30秒はかけて、じれったくなるぐらい、ゆっくりと慎重に、獲物に近づいて行きました。距離が2mになりました。タイガーのジャンプとキジバトが飛び立つのが同時でした。タイガーの爪がキジバトの肩甲あたりに触れたように見えました。キジバトのバランスが崩れ、羽が飛び散りました。やったーと思いましたが、そこまででした。キジバトは飛び去り、タイガーは地面に落ちました。猫が狩りに失敗した時は面白い行動をします。そこらにある石や木切れを持って、あたかもそれが獲物であるように、空中に投げたり捕まえたりします。ちょうど、お手玉をしているような光景です。どう見ても照れ隠しとしか思えません。その様子を見られていたことを知ったタイガーは、こちらの顔をじっと見ました。そして、ますます照れて、ワオーとどこかへ行ってしまいました。その後もタイガーの大物狙いは続いたようです。くちばしで突かれたのでしょう、目の上に穴があき、膿みが出ていることもありました。
 さて、タイガーのこんな最も血気盛んな時にいちリキがやってきました。タイガーにとっては、犬は親の敵です。少し心配しました。でもリキはまだ耳の立っていない本当のあかちゃんでした。タイガーはあかちゃんリキをいじめるわけでもなく、さりとて可愛がる訳でもなく、少し高い所から超然とした態度で眺めていました。
 リキの方がが次第にやんちゃになっていきます。両方の耳が立った頃、タイガーにちょっかいを出すようになりました。そんな時、タイガーはフー、ギャオーと、一応威嚇はしますが、本気ではありません。リキがたじろいだすきにさっさとどこかへ行ってしまいました。そんな日々が数ヶ月続きます。
 わが家の隣に父母の家があります。そこに、コテツと名付けられたオス猫がいました。じゃりんこチエに出てくる、眉間に三日月型の傷があるニヒルなやくざ猫と同じ名前です。しかし、こちらのコテツは、完全名前負けで、期待したニヒルでカッコいい猫にはならず、デブデブ太り、寝てばっかりいるダレ猫になりました。
 そのコテツがまだ子猫の時のことです。すでに体の大きさは一人前になっていたリキがコテツを追いかけました。タイガーがその様子を10mぐらい離れた所から見ていました。タイガーとコテツは親子でもなんでもありません。とくに仲が良いわけでもありません。隣の子猫ぐらいにしか思ってないはずです。ところが、コテツが追いつめられて、ギャーと言った瞬間、タイガーが猛然と走り、そして風切り音をあげて飛びました。必殺仕置き人が抜き身の刀を横に払ったシーンをスローモーションで見ているようでした。子供を守るため犬と戦って死んだ母親シャミーの怨霊が乗り移ったのかもしれません。
 リキがハタと立ち止まりました。そして腰を落とした姿勢でツツと後ずさりをしました。びっくりしたような目をしています。そして、シェパードの黒い大きな鼻に横真一文字に赤い筋が見えました。そこからみるみる血があふれてきました。大きな鼻が、タイガーの抜き身の爪で一刀のもとに斬られたのでした。タイガーはまだ攻撃の手を緩めていません。大きなシェパードが後ろを向いて肩を落としてこそこそと逃げ出しました。門のところまで逃げると背中を向けておすわりをし、石のように動かなくなりました。夜までそこでじっとしていたのです。日本刀で鼻をざっくり斬られたのです、さぞかし痛かったのだろうと思います。
 それから、しばらくの間、タイガーが側を通るとリキは決まって門の所まで行って石になりました。
 そのうち、リキがタイガーの側を通ることにはお許しが出たようですが、いちリキの時代はタイガー絶対優位でした。
 にリキの時代、少し様子が変わってきます。とってもお人好しみんな大好き、にリキに、タイガーは「犬にもええやつおるな」と思っていたようです。
 さんリキの時代、タイガーはおばあさんになっていました。
 さんリキは乱暴ものです。時々タイガーのお尻を鼻でこついていました。タイガーはウギャーと怒っていましたが、攻撃することはありません。でも、タイガーが昼寝をするソファーにリキが座ることは最後まで許可は与えなかったのです。


リキ物語 第3話 パトカーに乗ったリキ

シェパードは大きく、その力もかなりなものです。犬歯などそばで見ると、もしこいつに反乱を起こされたらとゾーとすることがあります。犬をコントロールする自信の無い人はこの種類の犬は飼わない方がよろしい。では、訓練士に頼めば良いかというと、どうもそれだけではうまくいかないようです。昔々、私が豊中高校に通っていたころ、うちに五郎と言う名のエアデルテリアがいました。鎌倉時代の敵討ち物語、曽我の五郎・十朗の名前をとったので漢字で五郎と書きます。五郎は完璧なまでに塾通いをしていました。訓練士がついてかなりの高等教育まで受けたはずです。確かに、訓練士といれば完璧に訓練を施された犬でしたが、訓練士にまかせっぱなしで、だれも一緒に訓練をしたわけではないので、家族の言うことはほとんど聞きません、家では勝手気ままでした。それ以来、わが家の犬は塾へ行っていません。
 同じシェパードでも、いちリキ、にリキ、さんリキと性格は微妙に異なります。犬をトレーニングする場合、抑制をかけることと、能動的に何かをさせることの二つの方向性があります。例えば、おすわり、ふせ、まて は抑制命令ですが、行け、ジャンプ、ファイトは能動命令です。
 にリキは、とってもお利口で抑制命令は完全なまでに遂行しました。ボールを投げて、行け、20m位全速力で走った所で、止まれ。急停止をします。さんリキはこうは行きません。いったんGOというと最後まで行ってしまいます。にリキは東大、さんリキは早稲田中退と言われる理由はここにあります。止まれが効かないと、時には危険ですから、さんリキにはほかの命令で対処することにしました、走りだしたところで、回れ右!。バスケットボールの選手のように180°方向を変えると一目散に帰ってきて、私を過ぎて15m位後ろまで駆け抜けます。回れ右はさんリキの得意な能動命令のようです。
 そんなわけですから、にリキは待ってと言われると、いつまでも待っていました。ただし、こちらがそれほど抑制の効く人間ではないので、30分以上は試したことはありません。人通りの多い午後5時頃の千里中央の本屋さん前で、すわって待って、私が本を買って出てくるまで、リードなしにじっと待っていました。いや、リードを付けていないと、危ないと怒る人がいるので、リードは付いているように見えますが、本当はどこにも結ばれてはいません。その端はリキがお尻の下に敷いているだけです。
 ある冬の夜、9時は過ぎていたと思います、近所の公園でにリキを滑り台に登らせ、30分待ての訓練をしていました。こちらは100m位離れた所にいます。これはこちらにとってもかなりつらい訓練で、寒い・退屈この上ありません。30分たって小声で「来い」。犬は人間の何倍も音が聞こえますから、大きい声を出す必要はありません。ところがこの直後、ギャーアーと悲鳴がしました。びっくりして走って行こうとしましたが、リキはまっすぐこちらに向かってきます。リキにリードを付け、滑り台の所に行くと、小さい犬をつれたおばさんが、腰がぬけたようにしゃがんでいました。無理もありません、暗闇の空中から突然、オオカミ男が飛んで出てきたのです。平身低頭。
 お勉強のときにいい子であることと、日頃の生活態度が品行方正であることとは違います。いちリキもさんリキも、勝手に家を出て行ったりすることは皆無でした。山へ行っても人の見えるところから離れることはありません。にリキは違いました。訓練で「ついて」と言われると、ぴったりと人の左側をバキンガムの近衛兵のように同じ歩調であるきます。ところが訓練が終わるとフラフラとどこかへ遊びにいってしまいます。友人の“灘高卒東大”にもこんなのがいました。もちろん、近くにいる場合は呼べばすぐ来ます。「訓練」と言えばすぐ訓練モードにもどります。しかし、声の届かない所に行ってしまうとお手上げです。
 にリキのもう一つの特徴は、みんなお友達です、人でも犬でも猫でもすぐお友達になりました。一応番犬ですから、初めての人が玄関に来たときは吠えていましたが、中に入ってくるとすぐ仲良しです。幸い、この秘密は泥棒団に知られることはなく、ご近所が軒並み泥棒団にやられた時もわが家は無事でした。念のために申し添えますが、今リキは決してそんなことはありません。無断侵入者には、警告を発することなく攻撃するかもしれません。泥棒様、御注意ください。
 さて、にリキの、誰でもお友達みんな大好きお人好しに、最初に気づいたのはヨットハーバーでした。リキはまだ少年です。ヨットハーバーは家から車で3時間、三重県五カ所湾にあります。私がヨットの整備をしている間、側にいたはずのリキの姿が見えません。しばらく大声で呼びましたが帰ってきません。しまったと思いました。家から何百キロも離れた場所で主人と離れ、苦労の末、やせ衰えて、わが家にたどり着いた名犬の物語を思いだしていました。しかし、そのような状況になって家にたどり着ける確率は極めて低いはずで、事故の危険性の方が遥かに高いとも考えていました。通って来た道のほとんどは高速道路です。もし、臭いをたよりにナビゲーションをすると、高速道路を通ることになります。犬の臭いの感覚は人間の1000倍とも5000倍とも言われます。犬は臭いの記憶をたどることができます。人が映像と言葉で思考を形成しているのに対し、犬は臭いでも思考が形成できるといいます。臭いの記憶をたどって行けば、三重県の五カ所から家までナビゲーションができるかもしれません。どのリキも、伊勢道の安濃サービスエリアが近づいたら5km先からわかるようです。いつもそこで休憩とおしっこをすることを知っています。帰りは、万博公園で、家が近いことを知り、そわそわ、わいわいと騒ぎが始まります。三匹リキとも同じです。
 さて、にリキを見つけねばなりません。念のため、車を来た方向に20分ほど走らせて見に行き、ハーバーに帰ってきた時、入り江の向こう岸にリキの姿が見えました。呼ぶと、一目散にかけて来て、「面白かったよ」と言いました。犬が大好きなコマイさんと山へお散歩に出かけていただけなのです。でも、リキとコマイさんはその時が初対面です。
 家へ帰って来てからも、次々と事件が発生します。猫のように誰も気にしなければ、そのうち家に帰って来たのでしょう。しかし、リキは大きくて目立ちすぎます。何らかの形で人様のお世話になったようです。ある時は、犬大好きのおじさんのお家へ上がり込んでお茶を飲んでいました。探し回って、やっと迎えに行くと、おじさんニコニコ笑って「またいらっしゃいね」。なぜか、そのうちご近所にリキさん情報網が確立したようで、必ずご近所の犬好き、犬情報通のお家に連絡が入り、犬を飼う時の心構えとおしかりの言葉を添えて、わが家へ連絡がくるようになりました。
 あるときは、中学校の先生から連絡が入りました。公園を越えて高校を越えてさらに道路を渡り向こう側の校庭で子供たちと遊び、教室までついて入ったそうです。またまた、平身低頭で迎えに行くと、もちろん先生からは大目玉ですが、子供たちからは「エー、もう帰るの、またね」と言われていました。
 こちらも、次第に逆戸締まりに気を付けるようになり、脱走事件も少なくなり、もう大丈夫と思ったころ、またまたリキがいなくなりました。まず、犬大好きおじさんの家へ電話をしました。「お茶に伺っていませんでしょうか」、いません。しかられるのを覚悟で、お犬様情報網へ、まだわかりません。公園を越えて向こうの中学校の職員室へも行きました。
 とうとう、三日目です。最近は見ませんが、昔の野犬狩りを思いだしていました。子供の時に見たことがあります。針金の投げ縄を、犬の首にかけて、犬を捕らえます。首に投げ縄がかかった犬は空中に放り投げられ、ドサと地面に叩き付けられます。かなりのショックのようで、犬はキャーンと言ったきり、動けなくなり、檻に投げ入れられたあとはすっかり怯えた罪人のようでした。私が子供の時に飼っていたスピッツのユキが、野犬狩りに捕われました。管轄は保健所で、飼い主がおそれいり貰い受けに行きます。真っ白な、美人ユキはすっかりやつれ、違う犬かと思いました。ほかにも当時は、私的犬捕りもあったそうです。こちらは、肉や皮が目的のため助からないと聞きました。
 そこで、保健所へ電話。最近は野犬狩りはほとんど行っていないとのことです。「ここ2-3日はこの近辺では絶対行っていません。」「拾得物として警察にいることが多いですよ」とも言われました。
 警察署へ電話、どうも大型犬の拾得物が一件あるようです。飛んで警察署へ行きました。リキです。警察署の裏庭につながれていました。相変わらず、ニコニコ笑っていました。最初、「ご本人の持ち物かどうか確認を」と言っていた拾得物係のおまわりさんも、リキの喜ぶ態度ですぐわかったようでした。
 おまわりさんの話では、小学校の近くに大型犬がうろうろしているので危険だと110番があったそうです。パトカーが出動しました。校門の前にシェパードがいました。おまわりさんがパトカーからおりました。後部座席のドアを開いたとたん、シェパードが自らパトカーに乗って、ドカと座ったそうです。
 大目玉を食らうか、下手をすれば、「なんとか条例違反で、10万円の罰金」と覚悟して行ったのですが、最後におまわりさんがいいました。「もう帰るのかい、またおいで」わずか、二日間でリキはおまわりさんとも大仲良しになっていたようです。

リキ物語 第2話 タイガー 

第2話 タイガー誕生
タイガーは猫です。シェパードのリキ物語とは関係ないと思われるかも知れませんが、いちリキ、にリキ、さんリキの三代の物語に頻繁に登場し、三匹のリキの人格(犬格)形成に多大の影響を与えた猫として、物語に登場しないわけにはいきません。徳川三代にわたって登場する春日局のような存在です。
 シャミーという名のとっても美人のシャム猫がいました。信長の妹、おいちはきっとシャミーみたいな美人だったのだろうと勝手に想像しました。その娘がタイガーです。シャミーのもとに通ってくるおっとりとしたシャム猫の雄がいました。よそさまのお家ではちゃんとした名前があったのでしょうが、あまりに大きな袋をぶらぶらとぶらさげているものですから、大きな声ではいえませんが、わが家ではキンタマニーという名前で呼ばれていたのです。タイガーたちが生まれたとき、父親もシャムだから、シャムが生まれてくるのだと思っていましたが、5匹みんな毛並みは違いました。確か、猫の子供は同時に妊娠した子供でも父親が違うことはあると聞きました。その中で最後にうまれたのがタイガーです。タイガーは、私どもの専門用語でいう新生児仮死でした。しかも胎齢に比べて小さい子宮内発育遅延です。人間の場合も、あかちゃんが複数いる場合、あとで生まれてくる子供の状態はどうしても悪くなります。子宮内での酸素や栄養の配分が悪く子宮内発育遅延になっている子供の場合はなお状態が悪くなります。タイガーはまさにこの悪条件が重なっていました。生まれたあとも泣きません。ぐったりとなんの動きも見せません。その時はトミーと二人でお産を見ていたのです。トミーは私の息子でその時小学校4年生でした。分娩後30秒ぐらいが経過しました。人間のあかちゃんでも、無呼吸でなんの反射もなく30秒経過すると危ないかも知れません。トミーが泣きそうな声で「どうしょう」といいました。実は手は出すまいと思っていたのですが、トミーの半泣き顔を見て何もしないで済ませなくなり、昔の産婆がやるように足を持って背中をたたきました。
驚いたことに、しぼるような声でワギャーと声をあげました。
 実は、あかちゃんを逆さつりにし、背中をバンバンとたたく新生児の蘇生方法は、テレビドラマなどでは今でも行われていますが、最近の臨床現場ではあまり行いません。気道の分泌物を吸引し、人工呼吸用のマスクを使うか、もしくは気管に管を入れて人工呼吸を行います。たまに、よその施設でクラッシックなトレーニングを受けた研修医が背中をバンバンやったりすると、「オイオイ、昔の産婆みたいなことするなよ」とたしなまれます。正直言って、私があえて古典的な方法で蘇生をしたのは、何かしたことをトミーに見せるためだったのかもしれません。ところが背中バンバンが見事に効果を発揮して、ワギャーだったので、やった本人が驚いてしまいました。
 タイガーの声帯にはこの時に何らかの異変が起きたようです。しばらくは声がでません。しぼりだすように小さくギューアと言います。猫のように可愛くニャオーとかミューとか鳴くことは一生ありませんでした。いつまでたってもワオーとかギャオーとかいいます。「タイガー、猫でしょ、ニャーンと言ってごらん」「ギャオー」「それじゃ豹でしょ、ニャオーと言いなさい」「ワオン」。「それじゃ犬でしょう」タイガーの豹のような、山犬のような鳴き声は一生そのままでした。
 当時わが家は新築直後です。家が予算を少々オーバーしたので、門とか塀とかがありません。しかも住宅が閑散とした山のようなところで、野犬や狐や狸がうろうろしていました。シャミー一家は台所の前の納戸の中にダンボール箱がおかれ、その中で暮らしていました。子猫たちがちょろちょろと走り回るようになったある夜中のことです。野犬の群れが襲いました。私は病院の当直で留守にしていたのですが、10匹近くの群れだったそうです。リーダーらしい犬は黒犬で首に白い鎌のような模様があったと言います。連絡を受けた私は次の日の朝、同僚に早出をお願いして見に帰りました。その時わが家にはウサギもいたのですが、どこにもいません。家の周りを探していると、シャミーの死体が見つかりました。目立った傷はありませんが、固く結んだ口が戦いのあとを残していました。こども達を守って戦って死んだようです。敏捷なシャミーでしたから、一人だったら必ず逃げおおせたはずです。子猫の死体が一匹だけ見つかりました。ウサギも残りの子猫も餌食になってしまったようです。
 腹立たしい思いで二日ほど過ごしました。その間にわが家には、木刀と子供のときによく遊んだパチンコが用意されていました。木の又に飴ゴムを結びつけ、小石やパチンコ玉を発射する装置です。犬では死ぬことはないでしょうが、かなりの衝撃を与えるはずです。
 そして、襲撃があってから二日目、積んであるタイヤの中からかすかなギュアオと変な鳴き声がしました。一番ちびでみすぼらしい、黒みがかった虎猫、そうタイガーだけが助かったのです。小さかったタイガーは襲撃事件の時、声を出さず、逃げ回らず、4本積んだタイヤの一番底でじっとしていたのです。以後、タイガーには正式にわが家の市民権が与えられました。本当はタイガーの名前が与えられたのはこれ以後のことです。
 もともと、シャム猫は野生の強い猫です。タイガーは、からだはきゃしゃなままでしたが、とても敏捷な猫に育っていきました。床から3メートルの天井近くにある棚まで一気に飛び上がります。キジバトに飛びかかるのを見たことがあります。こちらが手でじゃれさすと、完全にけんか腰になり、手の爪と足の爪と牙をつかってこちらの手に血がにじむまで攻撃を仕掛けてきます。あまりに痛いので、こちらが本気で張り飛ばすと、飛んで逃げていきました。そして、こちらが忘れてテレビを見ているころ、「すきあり」突然、攻撃を仕掛けてきます。しかもどこから来るかわかりません。時には高い所から両手の爪両足の爪を立てて降ってきます。まさに豹です。こちらが両手を挙げて「まいったまいった」をすると、「ワオ」と言って休戦してくれました。戦ったあとは、決して恨んだりするようなことはなく、鼻をすりつけたりします。さばさばとしたものです。
 この時まだリキはいません。タイガーは公園に散歩に行ったり、山にキャンプに行って鷹に狙われたり、ヨットに乗ったり、プールで泳いだり、犬のような生活をしていました。蛇をトイレのマットの下に隠したこともあります。ご近所でもとってもかわいがられました。関西では人気のある名前のおかげかもしれません。あちらこちらの家でご飯をもらっていたようです。

2008年9月 4日 (木)

リキ物語 第一話

 はじめに、
 大きくて、強くて、少し乱暴者の悪源太;三リキが昇天しました。最後までプライド高く、ハンサムでした。これを機会にリキ物語はブログ版として登場します。
 まずは、第一話から順次。 いずれ、わが家には初めてのお嬢、ハナの物語へと続いていく予定です。

 第1話 シープハウンド
リキは由緒正しきジャーマンシェパードです。実はリキは3匹いて、ややこしいですがいちリキ、にリキ、さんリキとします。ヒトの世界では「氏より育ち」と言いますが、三匹リキとも「育ちより氏」でした。三匹ともわが家へ初めて来た日など、子犬のくせに玄関前で両前足をそろえて不動の正座姿勢ですから恐れ入りました。
しだいにわが家の家風にどっぷりそまり、どんどん自由奔放勝手気ままになりました。
いちリキの時代のことです。私の同僚が医学研究に使う山羊を注文しました。小さめのミニゴートです。めちゃめちゃ値切って注文しましたので、熊本から東京へ運ぶ途中のトラックを真夜中の3時に名神吹田のサービスエリアで受け取りました。ほとんど禁酒法時代のカナディアンウィスキーの受け渡しです。私が勤めていた施設は国立のナショナルセンターで予算はふんだんにあり、税金を湯水のごとく使っていると思われていますが、それはごく一部の研究チームであり、私のグループの実際は山羊一匹買うとなると大騒動です。山羊一匹の値段はデータ整理のために雇う女の子の月々のお手当の約3倍になります。産科の研究チームですから妊娠した山羊を研究につかいます。ところが、いざ研究になって、苦労して手に入れた山羊には胎児がいない事が判りました。妊娠山羊と言って売る方も売る方ですが、妊娠していないことが見抜けず買った産婦人科医もたいしたヤブです。小太りのご夫人で、いかにもおなかが大きいように見える山羊だったのです。いまさら仕方がないので、人工心臓の研究をしているグループに提供しました。動物手術室と動物集中治療室を借りている関係で恩を売る必要があったのです。その国立研究機関は人工心臓の研究では世界としのぎを削っており、使用する動物も厳選された動物を使います。由緒正しいとは決して言えない非妊娠山羊君には、世界をリードする研究の栄誉は与えられなかったようです。あとで、知ったことですが、輸血用血液の提供者として過ごしました。この逆境にもめげず山羊君は生き残りました。ふらふらになりつつも、飯をバリバリ食べ、ほどなく、動物舎からわたしのもとに月3万円の飼料代の請求書が届きました。
  わが家は、ほとんど山のような所にあります。下草はボウボウで草刈りにほとほと手を焼いていました。
  山羊君を連れて来れば、根こそぎ草を食べてくれて、飼料代は払わなくて済み、草刈りの労働からは解放されるに違いないとも期待しました。
  ところが、期待に反して山羊君が食べたのは、木の新芽でした。少しは庭らしくと園芸店で一株2,500円も出して買った山茶花や沈丁花は一日で丸坊主になりました。ミニゴートですから上の方の新芽は大丈夫と思ったのも誤りで1週間もすると、およそ私の目の高さから下の葉っぱは全てなくなりました。ちびのくせに背伸びをして木によじ登り新芽を食べるのです。羊族の放牧によりサハラ砂漠が出来たという仮説は実験的に証明されたのです。そういえば、地球ふしぎ大自然に出てくるサバナは灌木がない所でも草はあります。まず最初に灌木がなくなるようです。
 迷惑をしたのは、リキとて同じことでした。まずリキの小屋が占拠されました。いちリキは外で寝起きをしていました。
  リキ小屋には、探しまわって知り合いの農家から手に入れたわらが敷き詰められていました。すでにクボタサナエちゃんやヤンマーコンバインが普及し、稲刈りあとのわらを干す光景は見られなくなっていましたから、寝わらは貴重品です。
  まずその寝ワラが食べられました。悪いことに草食動物の常として食べながら排泄物を垂れ流します。
  犬族は結構きれい好きで、排泄は自分の生活空間からできるだけ離れた所で用をたします。今は排泄物を公共の場におきっぱなしにすることは御法度ですから、ご主人様は散歩の一番遠い所から、お犬さまのおものを、我が家まで運ぶことになります。
  いちリキは山羊君の寝わらの上へのたれ流しにはほとほと困り果てていました。剛胆に放尿する山羊君をあきれた顔をしてあぜんと眺めていました。
  しかし、追い払うわけでもなく、先祖の大陸オオカミに昔帰りをして食うわけでもなく、2週間ほどの時が流れました。ある日、門の扉が開きっぱなしになっていたようです。
  ふだんは、いちリキは外に出ても、電信柱2~3本におしっこをかけ、縄張り確認が終わったら帰ってきます。ところがその時は山羊君も出てしまったようです。シェパードの遠い先祖は牧羊犬であり、大陸オオカミのDNAを少しまぜ、ドイツで軍用犬として改良されました。シェパードはシープ(羊)ハウンド(犬)の発音がなまったものです。
 出ていった山羊君の後を追い、先祖帰りをしたシープハウンド、リキのエスコートが始まりました。何世代も経過したはずなのに、昔々のおじいちゃんが受けた訓練を覚えているなんて、環境因子は遺伝に関与しないという現代科学の大原則に反する行為です。2匹の行方不明が明らかになり、人々の追跡が開始されました。
「山羊を連れたシェパードを見ていませんか」見た人は「いたいた、30分ぐらい前に中央環状線のほうに歩いていったよ」。
  見ていない人、怪訝な顔で「なんですかそれ」、いちいち説明するのも大変なので、「いえいえ別に」とパス。
  結局、リキと山羊君は半径3kmぐらいの円を描き、交通量のむちゃくちゃ多い中央環状線の、ちゃんと歩道を通り、信号を渡って、ファミリーレストランの前で2匹でおしっこをし、私の妹の家の前に来ました。
  リキがとても困った顔をして窓から中をのぞき込んでいたそうです。
「あんたら何してんの」
「家へ帰ろうよ」と言ったら、リキが「うん」と言って妹に付いて帰ってきました。山羊も後からついて来たそうです。  その後、山羊君は移動動物園へ引き取られ、幼稚園のこどもたちの相手をして幸せに一生をすごしました。考えてみれば、とっても強い運の持ち主です。いちリキも大型犬にしては長生きしました。にリキも、さんリキも、いちリキとは直接の血縁関係はありませんが、顔もすがたかたち、する事もとってもよくにてます。
にリキは東大卒みたいな犬で、とってもおりこうで繊細でした。公園で自分で拾ってきた雄猫を弟分にしました。
 さんリキは、兄弟のうち末っ子が一番甘やかされるの原則で、わんぱく放題し放題で育ちました。
 もうじき、人間も含めて、わが家ではめずらしいお嬢 ”はな”が福岡から全日空に乗ってやって来ます。

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